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お金の力が小さくなった未来、僕らの距離は近くなる

「コミュニティ・リレーション学」/ 教授 信岡良亮さん

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私たちの暮らしが幸せで持続可能でありつづけるために、人との繋がりや、コミュニティの価値への注目が高まっています。信岡良亮さんが教授をつとめる『コミュニティ・リレーション学』は70名を超える卒業生コミュニティを持ち、卒業後もアクティブな交流が続く人気講義です。

インタビューをおこなったのは、2月がもうすぐ終わる風の強い日。この時期になると、ふと東日本大震災のことが頭に浮かびます。あの日からもうすぐ6年が経ちますが、当時の絶望に比べると、一見、平穏で変わらない日常が流れているように感じます。しかし、私たちの社会はいくつもの問題を抱え、それが表に出始めています。これから私たちの社会はどうなっていくのか。私たちは何ができるのか。自由大学クリエイティブチームの佐藤大智がお話を伺いました。


 

3.11でも世の中は変わらなかった

‐もうすぐ3月11日がやって来ます。信岡さんにとって「3.11」とはどんな日ですか
自分にとって特別な区切り。3.11の前と後で明確に世界が変わったと感じています。言わば今日は「紀元後6年」というか。あの日から別の世界を生きている気持ちでいますね。


‐震災当時は海士町(島根県)にいたんですよね?
そうです。海士町は震災の影響はほとんどなかったんですが、震災や原発などから逃れてきた人たちの受け入れができるよう準備をしていました。自分は震災モードに入って、「大変なことが起きた」と、「自分にできることは何だ」と走り回っていたんです。でも半年ぐらい経って、未来への絶望感やネガティブな気持ちが大きく膨らんでしまったんです。鬱々した状態になったというのでしょうか。


‐その時の絶望感の理由は何なのでしょうか?
大きく2つあって。ひとつは、震災後も東京に一極集中した世界が持続しているという状況への危機感ですね。
震災によって、みんなのマインドセットの切り替わりが起こるのではないかと思ったんです。でもそんなことはなくて、「日常への弾性」というか。「日常」へ戻ろうとする力は強いんだな、こんな大きな出来事が起きてもなお変わらないのか、と。

理由の2つ目は、無力感ですね。自分の中で、日本中に「怨嗟(えんさ)」が広がっていくのを感じました。人と人が分断されていく、でも何もできない、という。


‐怨嗟、とはどのようなものでしょうか?
恨みつらみ、不信ですね。震災や原発により、多くの人の生活が大なり小なり変わってしまったことで、他者への憎しみや、不公平感が生まれてしまったと感じています。しかも、それは未来に続いていくのだと、特に原発に関する流れを見ていて感じました。
「早く日常に戻るために」未来のことをきちんと考えずに判断する。そもそも、未来のことを考えずに過去になされた決定が、震災時の壊滅的な状況の一因になったと思うんです。「今」をどうにかするのはもちろん大切ですが、未来の問題に目をつぶっては同じことのくり返しではないかと。国や自治体をひっぱっている人がそれをやっているんですね。その判断に対して、到底抗うことも覆すこともできない自分への無力感を感じました。


‐どうやってその落ち込んだ状態から回復していったのでしょうか?
少しゆっくりして、勉強したり、考える時間をとりました。その中でひとつブレイクスルーとしては、「だれも悪人ではない」ということに気づいたことですね。「この世界をコントロールしてやろう」という、大きな存在、悪人がいるわけではなかったんです。

政治家も有識者もさまざまな業者も、みんなそれぞれの立場でそれぞれができるよりよいことをしようと一生懸命です。ただ、未来への山の登り方が違うだけです。僕は悲観的な未来に備えたいタイプなので、じゃあ自分のできることをしよう、と切り替えていったのが現在です。

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信岡良亮さんは「都市と農村の新しい関係を創る」専門家です。現在は(株)アスノオト代表取締役。共著に『僕たちは島で、未来を見ることにした』

持続可能な社会は、現在の社会システムの延長にはない


‐信岡さんが目指されているコミュニティについてお聞きしたいのですが、まず現代社会の抱える問題点を教えてください。
論点はいくつかあると思いますが、「人口減少」と、それにともなう「貨幣経済の崩壊」は現実的な大問題です。これまで「経済は成長する」という前提で社会は回っていました。でも人口が減れば経済は縮小します。モノをカネで買う社会で、お金が減ることはそのまま貧しさに繋がります。人口減少への特効薬がない以上、僕はこれまでの社会システムを変えていく必要があると考えています。


‐日本の人口減少は、どれほど危機的な状況なのでしょうか?
人口の増減には「自然増減」と「社会増減」があります。自然増減とは、人の誕生と死亡による増減です。人口減少と言うと、「生まれてくる子供の数が少ない」という話で止まってしまうのですが、地域の過疎の問題としてより深刻なのは社会増減です。人口の社会増減は、社会的理由、たとえば進学や就職で人が入っていく、出ていくことです。

東京に住んでいると人口減少を感じない理由というのは、この社会増減の視点で見ると「増」に大きく傾いているからなんです。自然増減から見ると、東京の人口の増え方は質が良くない。人口を自給自足できていないんです。ニュースでも頻繁に取り上げられますよね、東京は子育てしにくいと。都市に比べて人を産み育てやすい田舎から人を吸い上げて、人を産み育てにくい都会に人が集まる結果、人を産み育てにくい社会を形成しているんです。


‐東京のホモ・サピエンスは絶滅危惧種だ、と以前お話されていましたよね。
3世代で種の個体数が半分以下になる状況になると生物業界では絶滅危惧種に指定されますが、東京の出生率1.24はまさに絶滅危惧種なんですね。1組のカップルが1人しか子供を産まないということは、子どもの世代で人口が半分になるんです。この出生率は天然記念物のオオサンショウウオと同じくらい。

人口の自然増減という点では田舎のほうがまだ緩やかではあります。それでも、すでに日本全体の出生率は1.46。人口維持に必要な出生率は2.07と言われています。人間、特に日本では寿命が長いからごまかされているけれど、これがたとえば寿命1年のサイクルで生きている虫が同じ状況だったら、数年で種の終わりが見えるくらい危機的なことなんです。


‐人口減少が大きな問題であることはわかりました。ですが、そもそも人口減は危機的なことなのでしょうか? 減ったなりに身の丈にあった規模の社会をつくればいいだけ、と考える人もいるかと。
もちろん数字として人口の多い、少ないは求めるものの問題だと思うんです。人口100万人の都市と3,000人の町、どちらが心地よいかは人によりますよね。ただ、社会の維持を考えたとき一番の問題は「人数」ではなく「変化量」なんです。急激な変化は、増加であれ減少であれ、社会の仕組みが耐えられなくなります。

貨幣経済は今年よりも来年、来年よりも再来年……と、経済は大きくなる、社会は豊かになるという前提で成立しているので、人口が減り経済規模が小さくなる中では立ちゆかなくなるのが見えています。特に日本は8割が内需、つまり人口が減れば国の稼ぐ力は比例して下がります。経済力が落ちる、現在の貨幣経済のものさしで見れば貧しくなっていきます。

さらに悪いことに、こうなると人は「こうなってしまった原因」を探し始めます。悪者なんかいなくて、社会が変わっただけなのに、責任をとらせる誰かを探すようになる。誰かを恨むようになる。怨嗟が広がるんです。そんな社会は嫌だなと思います。20年、30年の単位ですが、確実にやってくる未来をどう迎えるのか、一人ひとりが当事者として考える段階に来ていると考えています。

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「人口が減ると経済は小さくなりますが、人間ひとりのかけがえのなさは大きくなる。ここに希望があります」

小さくなっていく社会では、人間関係の密度は高くなる


‐自由大学の講義をはじめとして、信岡さんの考えを広める活動をされていますよね。現在行われていることと、これからの構想を教えてください。
3つのステップを考えていて、最初は自由大学の講義ですね。コミュニティ・リレーションを、初級編として自由大学で教えています。「社会の仕組みが変わっていくことを押しとどめようとするのではなく、そこでうまく生きていけるようになろう」というテーマです。これからの社会で必要なスキル、能力とは「関係性の構築力であり、つまりコミュニケーション」だと考えています。誰かと協力して生きていくことができる力です。

中級編として設定している「地域共創カレッジ」では、僕が考えているような社会のあり方を実践しつつある地域5箇所と協働して、半年ぐらいかけて学んでいこうと。最終的に、上級編として都市と田舎を繋ぐ大学をつくりたいです。これはまだ模索中です。


‐人口減少社会の中で、コミュニティが果たす役割とはどんなものなのでしょうか?
人口が減ること自体よりも、それによって貨幣経済が成り立たなくなることで起きることが問題だと思っています。端的に言えば、お金で物事が解決できなくなったとき、私たちはお互いを思いやらなくては生きていけなくなる、ということです。

講義でも話す内容ですが、社会のゆとりを「道幅」、個人の欲求の大きさを「車のサイズ」、心の制御能力を「運転技術」だとしますね。ゆとりがあれば、多少運転が下手でも大丈夫だし、平均的に運転できる人ばかりなら当然事故は起こらない。

でも、人口が減り、経済力が落ちていけば、社会のゆとりがなくなっていく、つまり道幅が狭くなるんです。そうなると、今まで通りに運転していた人たちが事故を起こすことになる。そうしたら、「自分は変わっていないのに、誰か悪いことをしている」と人を恨んだり、不平が出てきます。


‐さきほどおっしゃった「怨嗟」ですね。悪者を見つけようとするという。
そうです。自分は変わっていないけど貧しくなった、不便になった。それは誰かが悪いことをしているせいだ、という思考に陥ります。でもそれは間違っていて、人の欲求が大きくなりすぎているとか、悪意が増えているのではなく、社会の方から人の余裕を奪っていくんです。

「道幅が狭くなる」というのは社会の問題で、それを個人では解決できません。私たち自身が車を小さくするとか、運転技術を高めないと解決しない。それが人同士の関係性の構築、再構築です。

うまくやっていくには、人と人の関係性を高めること、つまりコミュニケーションが重要になってくるんです。社会が対応できない部分も個人が調整できるのではないか、というアイデアです。そしてこれは今すぐ出来ることではないかと考えています。


‐問題をコミュニケーションで解決すべき場面が増えるんですね。
貨幣経済はお金で人間関係を調整できるんです。お金を払って相手と距離を取ることができる。たとえばテレビを2つ買えば、兄弟でどの番組を見るかで揉めなくていい。お金を払えば雑魚寝じゃなくて個室を取れるとか。人との衝突をお金で減らすことができる。そういう意味では、貨幣経済から変わった社会は人間関係の調整コストが上がります。しかも、お金で解決できない時代になるでしょうね。お金に変わるものが、優しさとか思いやりとか、あるいは助けを求めることとか、誰かとの関係の中で生まれるものではないかと思います。


‐最後に。自由大学での講義や、その他の活動を通して実現したいことを教えてください。
3.11でもほとんど変わらなかった、今もみんな頭の片隅に問題意識はあるけど放置している、そういうことを、目の当たりにして、気づきにくいことを積み重ねて、関係性を養う。ひとりひとりが大切な存在だとわかり合い、お互いのことを大切にできる社会をつくりたいと思っています。それをこの講義や、コミュニティで味わうことができます。

卒業生の中で、自分の価値観で、感性にしたがって人生を舵取りしている人が増えているなと感じます。海士町からはじまって全国に。人材が広がっていることが重要なことですね。また講義では、自分自身の感性とも出会えるのではないかと思います。人の大切さを知り、協力し合う中で自分の力や役割を実感できます。身の回りの人を幸せにするという考えを広めたいし、そういう人がもっと増えたらと思っています。

担当講義:コミュニティ・リレーション学

構成、文:むらかみみさと 写真:ORDINARY

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