ブログ

【vol.12 つくるの変化】佐藤大智

価値の濁流

自由大学READY STUDY GO

積み木からはじまりレゴ、ミニ四駆、プラモデルとつくることが好きだった。子供のころ「つくる」こととは、物体をつくることとしか考えていなかった。

小学生のとき、カードゲームが流行り出した。例に漏れず自分も買いあさり、強いカードを集め、対戦で使う選りすぐりの40枚のデッキをつくった。しかし、カードがどんどん増えても楽しさはそんなに増えなかった。なぜなら、通っていた小学校ではほとんど誰もそのカードゲームやっていなかったからだ。そこで、おもしろさを伝え、遊ぶ仲間を増やした。そして、あっという間に小学校で大流行した。

中学校のころはテレビゲームやアクション映画の影響で銃に憧れ、エアーガンを買った。今、振り返ればそこからはカードゲームと同じ流れで、エアーガンを持っている友達を増やした。携帯電話もなかったころなのでエアーガンメンバー専用の連絡網をつくり、近所の林でサバイバルゲームを主催して遊んだりしていた。

そして、現在、状況をつくるという点では、自由大学でやっていることは同じかもしれない。ハードをつくることから、ソフトをつくることへ移行してきた。物体をつくる行為も、物体そのものをつくっている様で、そのつくられたものがある暮らしをつくっていたりと、ハードをつくっている様で状況をつくるソフト面へのアプローチする行為であるだろう。

去年の夏に訪れたポートランドのクリエイティブエージェンシーOMFGCOのJeremyさんは「ブランドのロゴをつくっているのではなく、このブランドに関わる人の感情をつくっている」と言っていた。そのブランドの商品を買ったり、サービスを受けることでどんな感情になってほしいか。湧き上がる感情をつくっていると。ひいてはそのブランドで働く人の感情をもつくっていると。ブランディングと聞くと、どこか表面を繕う行為のように聞こえるが、感情という根底の部分にアプローチしていた。

小学生のときから20年で「つくる」の概念が、大きく変わった。今から20年後はどうなっているだろう。



関連するブログ