今回の素敵なレディは、2015年の「CREATIVE CAMP in ポートランド」に参加し、その後1年間ポートランドに留学。帰国後も自由大学によく遊びに来てくれる私の良き友人、中山悠子さん。音楽と自然とお酒と言葉をこよなく愛し、自分の好きなものをまっすぐに表現する彼女の魅力を探りました。
中山悠子(なかやまゆうこ)
大学卒業後、一般企業に就職。働きながら「生きることはどういうことなのか」と考え始め、25歳で会社を辞め「CREATIVE CAMP in ポートランド」に参加。帰国後もポートランドのことが忘れられず、悩んだ末に留学を決意。2016年に1年間ポートランドへ留学し、留学中に現地で感じたことを言葉にしたZINE「Kibi of life」を作成。日本へ帰国後は、人とのご縁で社会復帰を果たし、今に至る。
表現のヒントは日常と自然の中に
さきこ 私が悠子の素敵だなと思うところは、まずは言葉の表現力。いつもSNSで発信してる言葉が素敵で、ハッとしたり、胸がぎゅっとしたりして、何度も読み返してしまう。
おそらく2年ぶりにヒールを履き、膝丈上のワンピースを身にまとった。足を揃え、腹筋に力を入れ、背筋もピンとしなければという意識がいつもよりも働く。
どことなく窮屈と感じてしまうこの様相。楽をすることは悪いことではないけれど、自分はしばらくの間、何かから遠ざかっていたのかもしれないと思い始める。都会で生きている限り、都会らしいこの記号を楽しむのもそれはそれで楽しいことかもしれない。もちろんそれを楽しんだ上で一番大切なことは嘘のない笑顔だということも忘れずに。
おでん
むかしドラえもんを見ていたとき、のび太くんがスモールライトで小さくなったのをいいことに、メロンをたらふく食べていたのを思い出した。
同じように私も小さくなったとして、このおでんの鍋の中に飛び込んだらどうなるんだろうか。大部分のおでんたちは熱々で触れやしない。出汁の中なんて、いくら泳ぐのが得意でも泳げやしない。でもきっと、はんぺんなら、表面はほんのりと温かいだろうから、その上で体育座りでもしていようかな。他のおでんが冷めるのをぼうっと待ちながら、ちょっとずつはんぺんをちぎって食べていようかな。
こういう言葉はどういう時に出てくるの?
悠子 だいたいお酒呑んだ時かな(笑)。お酒を呑むと、日々生きてる中でもんもんとしてることとか、引っかかってることとなぜだか向き合ってしまう。だいたいビールひと缶飲んだりするとポンポンポンって出てくる。
さきこ 悠子らしいね。ポンって出てくる言葉もきっと何かから影響を受けていると思うんだけど、悠子はどんなものから影響を受けていると思う?
悠子 一人は松浦弥太郎さんかな。大学生の時に「暮らしのヒント集」っていう、”カレーは好きだからと言っていつも食べちゃダメ”とか(笑)、そんな日常とどう向き合って暮らしていくかがひたすら書いてある本があるんだけど。それを読んだ時、大学生ながらに「日常って大事なんだな」っていうことを知ったのが大きかった。
もう一人は星野道夫さん。星野さんの言葉が好きで。みんな日々仕事に追われて生きているけど、ふと目を向ければすぐそばに自然があるっていうことに気付かせてくれる。例えば今日も寒いけど、外に目を向けると木の枝の先に蕾が膨らんでいて「春がやってきてるんだな」っていうことに気付けたり。星野さんはアラスカに腰を据えて活動していた写真家だったから、日本で日々忙しく生きていても、同じ時間でアラスカの北極ではシロクマが駆け巡ってるんだよっていうことを伝えてくれたり。そういう「自然と共に生きている」っていう、とても大切な感覚を教えてくれた。その感覚が好きで、日々忙しく生きてる中でも忘れたくないなって思ってる。
さきこ 自分の感覚を大切にしてるんだね。
悠子 だって人間として生きているなら感情があるじゃない?嬉しい、悲しい、寂しい、楽しい、喜怒哀楽。いかに効率よくお金を儲けるか、そういうビジネスの世界だけじゃない世界が人生の中で大切にしたい視野で。それは絶対に忘れたくないって思ってる。
ポートランドで見つけた等身大の自分
さきこ それってやっぱりポートランドに留学して影響を受けた部分ってある?
悠子 あると思うよ。たぶん。
さきこ ポートランドに行く前の自分と行ったあとの自分ってどう変わった?
悠子 ポートランドに行ったあとは、人と純粋に出会うことの楽しさを感じられるようになった。前はよく人と比べていて、自分はなんてダメなんだろうって思ってた。人って誰しも比較して自分が勝ってる劣ってるとか考えるけど、ポートランドに行ってそういうものがなくなったかな。「人って違っていいんだな」とか、「こうあるべき」がなくなった。
さきこ 前はあったんだ。意外。
悠子 あったよ、めちゃくちゃ。前は世間の目からしたら自分はどう見られてるんだろうって、人の目を気にしてる自分がよくいた。昔から気にするし、すぐ傷つくし、いろんな人の意見に振り回されて泣いたり。今も残ってる部分はあるけどね。でもポートランドに行って…ポートランドだからじゃないけど、たまたまその行った場所の人たちが和やかに生きてたんだよね。「大丈夫だよ!」っていう感覚で生きてる彼らに、「自分は自分でいいんだ」って何度も思わせてくれた。例えばスーパーで陽気に話しかける店員さんとかね。日本と感覚が違ってあっちだとおしゃべりが前提だから、買い物する時も「今日はどう?私はさ…」って会話が始まったり。一応店員さんもレジやってるけど、楽しんでやってるから。ゆるいって言えばゆるいけど、人との会話を楽しんでるこの人たちいいよなって。そういう自分の中で自分を許せる感覚がいっぱい体験としてあって、いろんな人がいていいんだなって、実感として思えるようになった。
さきこ ポートランドの人たちは本当にみんな幸せそうに生きてるもんね。でも日本に帰ってきてけっこうギャップがあったんじゃない?
悠子 最初はあったよ。みんなせかせかして仏頂顔して、何を楽しみに生きてるんだろう?って、すれ違う人々の顔を見ていたら悲しくなっちゃったり(笑)。でもだんだん、みんないろいろあるんだろうなって思えるようになって。ツンツンしながら歩いてる人たちだって、きっといろいろあってそうなってる。日本人って壁があるからそれを出さないだけで、飲み屋に行った時に全然知らない人と話すと「案外この人面白いな」っていう発見があったり。いろんなことを「そういうものなんだな」って受け入れられるようになった。だからあんまりイライラしなくなったし、人に対して寛容になったのかな。
(後編に続く)