「真面目はいいけど、逃げ道になっていないかな?」
僕達が子供のころから、人気の子供のイメージは変わってきた。
昔は、いたずらして、ガキ大将で、面白い子供で スポーツができる子供が人気だった。先生の言うことを聞かなくても、先生は、いたずらな子供や喧嘩を許してくれた。
しかし最近は子供がケンカすると、異常にうるさく、ケガでもするとおおごとだ。真面目に規則を守ることができる子供が褒めらる。何か失敗しても、真面目に努力しているのだから許してあげないと、となる。しかしケガしたり、骨を折ったり、大ゲンカしてから親友になったりするものだし、幾ら真面目にやっても、不真面目だけど才能ある人が軽々と上手くやってしまうのを見て、学ぶことがあるものだ。
最近、僕が良く考えるのは、この真面目ということを言い訳に使い、大きな意味で、まっとうではないことが見受けられる。真面目ということを隠れみのにして、その裏に隠れている真実を求めることを忘れてはいないだろうか?ということだ。この世の中は一筋なわでは行かないものだし、本質的な真面目ということは、一見不真面目な気がしている。何がまっとうか?がもっと大切だ。
自由大学ファウンダー 黒崎輝男
ニワトリは古来から目覚めや覚醒の象徴として愛されてきました。真面目にやることに囚われすぎて疑うことを忘れてしまった状態を、ユーモアを持って取り戻そう。ニワトリにはそんな思いを込めています。今年も残り3ヶ月をとり年らしく生きていきましょう。