ブログ

【vol.8 HIP HOPと住民主権と祭り】佐藤大智

価値の濁流

自由大学READY STUDY GO

 

HIP HOPってあれでしょ?片耳だけヘッドホンして、レコードをキュッキュッして、ダボダボの服と金色のネックレス。チェケラ!って恥ずかしがらずに連呼しちゃう。で、だいたいみんなチャラチャラしている。iPodで音楽を聴けばいいのに、わざわざ大きなラジカセを肩に担いで街を歩く。壁があれば、どこでもスプレーで絵を書いちゃう。

えぇ、僕、HIP HOPナメていました。ドラマ「Get Down」やHIP HOPのドキュメンタリーなどを介して黎明期の状況を知り、見方がガラリと変わりました。

HIP HOPのはじまりは1970年ごろのニューヨークと言われています。そのころのニューヨークは荒廃していて、地域によっては空爆があったようだと例えられるほど。放火や窃盗、暴行、殺人事件が絶えず、不況のためよい職もなかなか無く、行政も手を差し伸べてはくれません。荒れた地域のマンションの持ち主たちは家賃収入を得るよりも保険金をもらった方が儲かるからと、貧しい子供にお金を渡し、自分のマンションに放火させていたとも言われています。

そんな荒れた社会の中で、使われていない建物の地下などにに若者が大勢集います。それはブロックパーティーと呼ばれ、街の区画=ブロックから由来しているようです。その場を取り仕切るのは長老でもなく、神父でもなく、社長でもなく、市長でもなく、DJとMC。決してキレイではない建物の中で、音と言葉で熱狂の渦を生み出します。各DJやMCたちは暴力でエネルギーをぶつけ合うのではなく、音とセンスでぶつかり合い、高め合っていきます。

誰でもその場にアクセスできるのではなく、近所(ブロック)に住んでいるか、誰と知り合いかなどによってフィルタリングされた人たちが、その場で一体となり共通体験をします。それが緩くも強い団結を形成しているように見えました。

目線を自分の国に戻せば、これから人口が急減し、おそらくこれまでの経済システムが立ち行かなくなるであろう日本もあながち70年代のニューヨークの状況は他人事ではないかもしれません。

ブロックパーティーは日本にはないですが、音、地域、熱狂というキーワードでは、地域の神社のお祭りがかつて近い存在だったのかもしれせん。しかし、今その求心力は弱まってしまっています。

近ごろ「地域」という言葉がよく目につくようになりましたが、荒廃した社会でのコミュニティー形成、情熱の高め方という点でHIP HOPの黎明期の状況は参考になるではないかと直感がはたらいています。当時の若者と比較してみると今の日本の若者にはレペゼンと言える自信、自負が特に大きく欠けてるように思います。それは、街(地域)で自分が匿名的存在ではなく、その街を構成する一員なんだという意識をもっているかと同義かもしれません。大多数の人が匿名的存在になると、誰もその街に責任を持たず、最終的にはそこに住む、働く匿名的存在は無いものとされ、自らの存在を追いやることになるでしょう。

正直、まだHIP HOPが自分のなかに落とし込めていなくて、うまく言語化できていません。これらは25歳の僕が2次情報、3次情報から感じたHIP HOPの印象であり、世代によってHIP HOPから感じること、知っていることはだいぶ違うと思います。ぜひ意見を聞かせてください。多面的に捉えたいです。

僕はHIP HOPの1次情報をほとんど持ち合わせていないので、来週の水曜日に人生で初めて渋谷のクラブに行ってみようと思っています。



関連するブログ