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【vol.7 いつだって始まりは 】花村えみ

解像度を上げるWHY?

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次の10、20年で私たちを取り巻く環境はどんな変化を起こすだろう。たいして変わらない?私は学校で習う年表の「~時代」という呼び名が変わるくらい変わってしまうんじゃないかと思っている。今回はちょっと想像を膨らましてみようと思う。

歴史を振り返ってみると、いつの時代の終わりにも、政権のトップが正しい人事評価ができなくなったり、働きに対して十分な恩賞を払えなくなることで人心が離れたから、という要素が入っているように思う。例えば平安時代が終わったのも、「貴族だけが恩恵を受ける世の中なんて、やってられないよね」という不満が少なからずあったからだろうし、鎌倉時代の終わりは、「元寇で頑張ったのに恩賞ないらしいよ」という求心力の弱りがあった。時の天皇の崩御によって平和裡に政権が移動したこともあるだろうが、近代化の流れとともに覇権をとった『国家』という組織体は、敗戦によって「頼るべきは国家じゃないよね」と人々から少し距離を取られている。国家の次に心の拠り所になったのは文句なしの『企業という組織体』だった。高度成長期、企業は忠誠を誓い身を粉にして働いた人に対して、お金で労をねぎらった。

今の私たちはすでに、企業という組織体が自分たちの人生を保証してくれるわけではないことに気づいているということ。また、お金はそこそこでいいから、もっと自分の人生を謳歌するための時間が欲しいと呟く人で溢れているということ。簡潔にいうと、企業という顔の見えない集団にアイデンティティを預ける時代はかなり前に終わっているのだ。

次に来るのは「コミュニティ」なのか。コミュニティというと、閉鎖的な村社会を連想してしまいがちだが、顔が見える距離感でありながら外に開かれているゆるい集合体。住んでいるエリアでの価値観のあう仲間たち、美意識を共にする仕事の繋がり、はたまたネット上での共通する趣味をもつ集い。誰一人として同じコミュニテイ・タグの束を持っている人はいない?私たちはもっと自分で立つことを求められるにちがいない。

どんな未来が待っているのか、想像は果てしなく尽きない。



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