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【vol.7 赤いピルを飲み続ける】佐藤大智

価値の濁流

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小指を切り落としても、残った大部分の自分は自分である。
耳を切り落としても、残った大部分の自分は自分である。
左腕を切り落としても、残った大部分の自分は自分である。
頭を切り落としても、残った大部分の自分は自分だろうか。

むしろ切り落とされた頭の方が自分のような気がする。つまり、頭(おそらく脳)が自分なのだろうか。自分の身体が9対1になっても1の方を自分と認識するのはとても興味深い。しかし、自分の頭にドリルで穴をあけ自分の脳を自分で確認して、自分が自分であることを確認している人はいないだろう。脳を確認したところで「やっぱり自分は自分だ!」と実感もできないだろう。

朝、目覚ましが鳴る。うるさい。まだ眠い。だんだん視界が明るくなる。外の光が眩しい。起きて仕事に行かないと。毎朝、目が覚めたときに、「今日の自分は自分かな?」と気にすることはないと思う。夜、寝るときから意識が途絶えても、翌日も自分は自分だと思っている。しかし、今日の自分が昨日の自分と同一である確認も保証もどこにもない。自分を疑わずに日々過ごしてるが、「自分」とはとても曖昧なもののように感じてしまう。

先日、数年ぶりに映画「マトリックス」を観た。主人公のネオはさえないサラリーマン。ある日、伝道師のモーフィアスに出会い、ここは仮想現実の世界だと告げられる。そして、2つのピルを差し出さる。青いピルを飲むと、これまでの記憶が消え何ごともなかったかのようにベットの上で目覚め元の日常に戻れる。赤いピルを飲むと、真実を見ることができるがつらい現実が待っているかもしれないし、希望があるかもしれない、と決断を迫られる。

今の僕ではモーフィアスに「おまえはプラグにつながれていて仮想現実を見ているだけだ」と言われても、反論ができない。今日の自分が昨日の自分と同一である保証はどこにもないが、それだけ明日の自分には可能性に満ち溢れている。僕は赤いピルを飲み続ける。



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