感情をデザインすることを始めよう。
着物好きが高じて、着物にまつわるモノづくりをしている人たちに直接会いに行くことが増えている。ここ一ヶ月の間に信州上田(上田紬)、新宿(型染め:江戸小紋・江戸更紗)、桐生(桐生織)と20人あまりの作り手と出会う機会があり、「着物屋でもやるつもりか?」と我ながら苦笑いものである。
着物は洋服と比べると実用性という意味で格段に劣るのは承知の上、作り手たちは少しでも現代の生活に寄り添う着物を作ろうと試行錯誤してきた。素材も洗える&ノーアイロン着物、和紙の着物、風通し抜群の帯など。また柄付けも椅子に座ること前提で胸周りに柄を集中させたり、帯がリバーシブル柄という工夫だってある。
技術の緻密さや根気強い作業に、職人魂とはこういうことか、と驚かされることが多いものの、着物を着る人がこれだけ少なくなった時代に、彼らの技術力が報われるのかと不安を感じてしまうことも実は多い。
では着物を染めていた人たちが、着物ではない素材に舵を切ったほうがいいのだろうか。BOWS & ARROWSの執筆編集を通して、多くの伝統技術でものづくりをしている人に接してきた仲間は、「元々技術を培ってきていない人間が、伝統技術を生かしたものづくりをデザインしはじめても、ズレてしまうケース多いよね」と話す。Core(今までやってきた本業)とMore(新たな二次素材への挑戦)という割り切り方をした上で、Moreに着手する時も、その技術の本質的な価値が生きた使われ方をしているか、ちゃんと配慮をするべきだということだ。
また、最近一緒に仕事をしはじめた着物のスタイリストは、「いまの人は伝統工芸師が作ったから、という買い方ではなく、純粋にカッコイイ!と思ったら買うでしょ」と熱弁を振るう。そうそう私も、国産の◯◯だから、××織だから、という理屈で買いに動くのではなくて、「かっこいい!」「着心地がいい!」と直感に訴えかけてくるからお財布を開くのだ。
あらゆる物産展を見ても、いまいち買いたい気持ちを掻き立てられないのは、~の特産品だから、〜の伝統技術を使っているから、という売り文句があまりにも前にですぎてしまっているからではないかと思う。他のものと比較をしたとしても「カッコイイ!」「これを身につけると自分の価値を上げる!」と強く感情に訴えかける情報の出し方、モノづくりがされていれば、物が売れないわけはない。
「ハードル高いよー」と言われそうな話しだってことは、百も承知だ。ただ今のところ、着物が洋服に勝るためには「ちょっとくらいの不便があったって凄く素敵!」と言わさないと、着物を着る人が減り続けてしまうことは確かだと思うのだ。
「絹咲(裂き)紬」は着れなくなった着物を5mmの幅に裂いて紐状にし、帯としてリメイクする。形をかえて息を吹き込むやり方が古くて新しい。