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【vol.4 教育と洗脳】佐藤大智

価値の濁流

自由大学READY STUDY GO

思考を変えるために環境を変え、先日は目黒にあるみどり荘でクリエイティブチームのミーティングを行った。みどり荘では毎週1回、コミュニティーランチを開催している。みどり荘のメンバーだけでなく、近所の人や遊びに来た外人やケータリングのその人のごはんを食べたくて来る人も集って、一緒にランチを食べる。ランチの後には、珈琲小学校の吉田先生が入れてくれたコーヒーが飲める。吉田先生は元小学校の先生で「CREATIVE CAMP in ポートランド」に参加した後、カフェを立ち上げた。教員を辞めた後も親しみをこめて吉田先生とみんなから呼ばれている。

そんな吉田先生とコーヒーを飲みながら、「教育と洗脳」についての話になった。「違いは、考えるかどうか。洗脳は考えさせず、教育は考えさせる行為。だから、学校は知識を教えるだけじゃなくて、どんどん考えることをさせる場でないといけないと思います。何かに気づくのは生徒で、気づくしかけをするのが先生の仕事。」と吉田先生は言っていた。

ふと、今、自分は洗脳されているのだろうか?と思った。洗脳というとナチスが真っ先に思い浮かぶ。現代の日本にはヒトラーのような特定の人物は見当たらないが、どこか不安がある。多くの人は大学を卒業したら、毎日学校へ通う生活ではなくなるだろう。では、もう教育(or 洗脳)は受けなくなるのだろうか。それは形を変え、目にする看板、雑誌、SNSの投稿、上司の話、お店に並ぶ商品など、さまざまなものが日々自分へアプローチしてくる。現代のその不安は、おそらく大気汚染のようにみんなが加害者で、みんなが被害者という関係性からくるのだろう。合成の誤謬が起きているのかもしれない。しかし、それにすら気付けていないのかもしれない。

みなさんは、小学校のころ何かを発見してハッとしたり、考えたりしていましたか?小学校には教育をしてくれる吉田先生がいましたが、今は自分で考え続けていますか?



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