無駄な部分を、愉しむ。
最近は着物好きが高じて、興味が江戸時代そのものに行きつつある。浮世絵や歌舞伎から垣間見る江戸のモードは、現代以上にアバンギャルドな模様にあふれ、色on色・柄on柄の着こなしをカッコよくやってのけている。彼らのこだわりの強さとか、遊び心は一体どのようにして育っていったんだろう?
弁慶縞・歌川国貞@太田記念美術館
私も大好きな、いわゆる チェックやストライプ という着物柄は、江戸の街で一気に花開いている。ご贔屓にしている役者さんが着ていた格子や柄の模様が、そのまま柄の名前になったりで、(松本幸四郎の「高麗屋」が着ていたので「高麗屋縞」。好きな役者が着ている模様を自分の着物に取り入れて「俺は◯◯推し」みたいなことをやっていたわけか) 江戸時代に生まれた模様の数は膨大だ。作り手の各家にはオリジナルの縞帳・格子帳・絣帳というのがあったらしく、一冊には数百ずつの縞・格子・絣のパターン見本を納めていたという。また江戸小紋といった、遠目では無地に見えるけれど、近寄ると無数の柄があるような高い技術を必要とする染めも人気だった。
四代目松本幸四郎 Wikipediaより
260年間という長い平和な低成長時代は、いま私たちが日本文化的と思い描く多くの物を発酵し成熟させた。江戸風俗研究家の杉浦日向子さんは、盆栽も歌舞音曲も俳句も、江戸時代の道楽だったり隠居してからの楽しみだったことを指摘する。無駄を楽しんで、常に感性を磨き競い合うことで、遊びが文化に高まっていったのだ。加えて江戸の頃の豊かさは、才のある人が、企業や大組織に取り込まれないで、遊びの中で才能を発揮できたことにあったとも話す。
自由大学で毎年開催しているCreative Camp in Portland のプログラムで、現地でコーヒーショップのオーナーと「クリエイティビティ(創造力)とは制限された状態で、どのようにその状況を楽しむかで発揮される」という話をすることがあった。確かに、江戸の時代は制限も多い。まず鎖国をして西欧諸国からの情報を制限しているし、商人が財力を持ちだすと、贅沢を禁止する法律が何度も出されている。今とは違い、身分によっては着てはいけない衣服もあったわけだ。その日暮らしをしている人も多いライフスタイルの中で、どう傾(かぶ)くかをみんなが考えていたのだろう。
今の私たちの生活を考えると、思い立ったら海外にも行けるし、転職だってやりやすくなっている。しかし、物理的な自由が開放感とは違うようなきがするのだ。いい会社に入る事、前年より売り上げを出す事、効率性・生産性…じわじわと私たちを蝕む閉塞感。しかしそんな時代こそ、江戸時代にみる一見無駄にみえるようなところを遊ぶ心の余裕を持ってみると、閉塞感なんて案外スコーンと突き抜けることができるんじゃないかと思うのだ。
「READY STUDY GO」は隔週配信のメールマガジンで配信中です。自由大学クリエイティブチームのメンバーが、それぞれのテーマで連載しています。いち早く読みたい方は、このページの下にある[メールマガジン登録」をしてくださいね。水曜朝6時の配信予定です。