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【自由大学マガジン vol.144】 大事なものはいつも足元にある(後編)|中村真

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隔週で発行しているメールマガジン「自由大学マガジン」の人気のコラム、FREE from FREEDOM!そのバックナンバーをお届けします。


※中村真さんのコラムの後編です。前編はこちらへどうぞ。

帰国する段において日本への無知は興味へと変わり、僕は「日本にしかないもの」を探し始め、わかりやすい「温泉」にその好奇心が向いていった。
アルバイトをしながら少しお金を手にすると、日本一周の旅に出て、海、山、川など大自然に抱かれるように存在する温泉へと向かう。日本一周は3度行い、最初はヒッチハイク、2度目はオートバイ、3度目は車で行った。その過程において僕は徐々に日本の魅力に触れていくことになった。

秘湯と言われる温泉は山奥に多く、あるとき、長野県の温泉に向かっている途中、山間部を奥へ奥へ向った。日本全国、山間部に限らず今では住む人も少なくなってきた限界集落を見かけることはよくある。その長野の集落も他同様、10軒程度しか家のない小さな集落だったのだが、4つほどの小さなお社が祀られてあった。10軒程度の集落に神社が4つ? 旅に出る前の僕だったらきっと見過ごしていることだが、旅の間に触れた、多くの人の祖国への想いに興味を感じた僕は「なぜ10軒程度の集落に4つも神社があるんだろう?」と、日本にいると当たり前だと思っていたことに疑問を持つようになっていた。神社はたくさんあるもの。そんな思い込みが旅に出る前の僕にはあったのだと思う。

その集落の4つの神社のひとつの前を車で通りすぎた時、鳥居の中の参道を掃除しているお婆さんを見つけた僕は車を止めて、そのお婆さんにお話を伺おうと神社へ歩いていった。その神社の拝殿は古いものだったが、入口の鳥居は建て替えられたものなのかとても新しく、「熊野神社」の名前を掲げていた。鳥居をくぐり参道にいるお婆さんに声をかけ、この神社の謂れを伺うと、お婆さんからは驚きの答えが返ってきた。
神社の名前を聞いた僕に対しお婆さんは「名前なんか知らないよ。私たちは『お宮さん』と昔からいっているんだよ」。真新しい鳥居には確かに「熊野神社」と掲げられている。でもその神社を掃除しているお婆さんは名前を知らない・・・。では何故、名前も知らない神社の掃除を、このお婆さんがしているのだろう? 「私はここの生まれで、母親も同じ集落の出身、祖母もそうだよ。私たちの集落が毎日無事に生活できているのは、このお宮の神さまがここを守ってくれているからなんだよ。私の母も祖母も毎日ここを掃除してたから、これは私の役目なんだ」。

僕はここでもまた衝撃を受けることになった。考えてみれば神社の名前は宗教的要素。その名前はしらないけど、日々の繰り返しの中でそこを掃除しているお婆さんは、その土地を守る神様との暮らしをじゅうぶんに意識している。日本に帰国し日本の神さまの存在にはじめて出会った瞬間だった。神さまとは、神社と言う建物があればそこにいらっしゃる存在ではなく、その神様に思いを馳せ、存在に感謝をする人々の心の中に存在するのだと気が付かされた瞬間だった。

あれから20年。今朝もいつもと変わらず目覚めたことに感謝をしながら、この国に生まれついた奇跡を多くのみなさんと味わい楽しみ続けるために、僕は僕の中にいる神さまと出会う旅を、いつまでも続けていくつもりだ。

[text:中村 真]
尾道自由大学学長・神社学教授

※前編はこちらへどうぞ!
[自由大学マガジン vol.144 2015/09/30]



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