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受け入れることでつながる  フルタヨウコさんの朝ごはん学 part1

フルタヨウコ/朝ごはん学教授

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自由大学でも話題の講義のひとつになっている「朝ごはん学」。教授のフルタヨウコさんは今、「朝ごはんといえばフルタさん」というほど注目を集めています。学生時代に建築を学んでいたというフルタさんはいったいどのようにして料理の世界に足を踏み入れることになったのでしょうか。フルタさんの子ども時代にそのヒントがあるようです。聞き手は、自由大学学長の和泉里佳さんです。

聞き手:和泉里佳(自由大学学長)
司会:高橋宏文(フリユニラジオ編集長)
写真:水澤充

子どもの頃の体験がすべてつながる

和泉 フルタさんはもともと大学では建築を学んでいたんですよね。卒業後は家具の製作販売会社に入ってその後、料理の世界に行ったそうですが、どういう感じでそこにたどり着いたのでしょうか?

フルタ そうですね。家具の製作会社に入ったのですが、展覧会の担当だったんですね。社長が家具のプロデューサーで年間6回くらい展覧会を企画していたのです。私は展覧会の担当として入ったので、家具を売りつつ展覧会のこともしつつ…といろいろやっていました。もともと私は料理もご飯を食べるのも好きだったんですが、展覧会の予算がないことも多かったので、オープニング・パーティーでみんなに来てもらって食べたり飲んだりしてもらいたいけどどうしよう?というときに、「じゃあ私がいろいろ考えます」みたいな感じでワインやバゲットなどを用意して出していたら、それがだんだんひとり歩きしていって料理の仕事が多くなってきたという感じです。

和泉 じゃあ、仕事のなかで自分が今までやってきたことを披露してみたのがきっかけなんですね。

フルタ そうですね。でも、披露したいということで披露したわけではなくて、やむなく…(笑)。そうするしかなかったからやっていたんですが、でもそれは嫌々やっていたんじゃなくて、自分で展覧会のテーマに合わせて何かを用意するという企画の仕事が好きだったので、それの延長としてやっていくうちに、みんなが面白がって「うちのケータリングもやって」というのが増えてきた感じですね。

和泉 そういうパーティーの食事ってちょっとデザイン性もあるし、そのへんもフルタさんの学んできたことがきっと活きているんでしょうね。

フルタ ちゃんとした大々的なパーティーのときには、ケータリング・ユニットの人たちに頼んでいたのですが、その人たちがすごくユニークだったので、その影響も大きいかなと思います。あの人たちがこういうふうにやっていたから、それの小規模バージョンはこうすればいいかな、と自分でアレンジしていましたね。
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和泉 2000年くらいからフリーになったんですよね?料理は独学だったんですか?それともどこかに行って勉強をしたとか?

フルタ 勉強せずにケータリングを始めましたが、学生時代に結婚式場でバイトをしていたので、パーティー料理がこんな感じというのはなんとなくわかっていました。あと、すごく好きな料理家さんがいたので、その方の料理教室にはケータリングを始めてからですが、8ヶ月間だけ通いました。

和泉 でも、大学のときのバイトがそうやって活きてきて、なんかつながっていますね。

フルタ そうですね。大学のときは、ファミレスの厨房と結婚式場と設計事務所のバイトをしていたのですが…。

和泉 それって今思えば、すべてが今のフルタさんにつながっているような感じがするんですけど、それは狙って…?(笑)

フルタ いや、やりたいことしかやれない性格なんですよ(笑)。

和泉 でもそのときって、今みたいにそれがすべて仕事につながってくると考えていましたか?

フルタ ぜんぜん思っていなかったですね。学生時代は建築オタクで、設計事務所に就職して建築家になるということしか考えていなかったので、料理の仕事をするなんてまったく考えてもいなかったですね。
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和泉 もともと子どもの頃から、食べることや食べ物、料理に関して意識が高かったんですか?

フルタ そうですね。父親の実家が長野の果樹園農家で、小学校の夏休みにはプラムの収穫に駆り出されて、兄と一緒に1週間ぐらいそこに送り込まれて収穫を手伝っていたんです。そのときは普通だと思っていたんですが、朝起きて、おばあちゃんが飼っていた山羊のお乳を絞りに行って、鶏の卵をとってそれを台所に運ぶと、山羊乳を煮沸してくれて、卵で目玉焼きをつくってくれて、それを食べてプラムの収穫に行っていた。プラムは完熟しすぎていると出荷できないため、それは自分たちで食べていいってことだったので、完熟したプラムしか食べたことがなかったんです。もともと両親も食べることが好きで、母親がつくってくれるお弁当も綺麗すぎて恥ずかしかった(笑)。ちゃんとご飯をつくって食べる、というのが当たり前の家庭でしたね。

和泉 子どもの頃のすごくいい体験が、自分の身体のなかに染み込み蓄積していって、自然と形成されているんですね。

フルタ 東京生まれの東京育ちなのに田舎の体験もしている、というのが、いろいろ思い出してみると、そういうことなのかなと思いますね。

和泉 そういう子どもの頃からの経験もあって、どうして建築のほうに進んだのですか?

フルタ 高校2年生で文系・理系に分かれるときがあって、文系でも理系でもどっちでも構わなかったんですが、ある日、新宿の大きな書店に行ってふらふら歩いていたら、アントニオ・ガウディの写真集があって、「建築ってこんなに面白いことができるんだ、いいな」って思った。あと、父親がリフォーム好きで、家をしょっちゅう改装していて、大工さんと一緒にフローリングを貼る手伝いとかしていたんです(笑)。

和泉 それで建築を勉強して家具の会社に入って、でもそこで、子供の頃から自分の経験でずっと蓄積されている「食」の部分が出てきつつ…。その流れで今の仕事につながってくるんですか?

フルタ そうですね、何も考えていないですね(笑)。「ああしたい、こうしたい」とあまり思わずに今までやってきているので、流れに身をまかせてというか。

和泉 そうなんですね(笑)。

フルタヨウコ
東京生まれ。 工学院大学建築学科在学中、リビングデザイナー・小泉誠氏のもとでアルバイトをし、モノを制作するときの姿勢を学ぶ。大学卒業後、家具の制作販売プロデュース会社のBC工房に入社。展覧会担当として、BC工房とリビングデザインセンターOZONEのディレクター・萩原修氏の企画する展覧会の制作サポーターとして、展示にまつわるあらゆること(展覧会を企画する、キャプションを書く、展覧会の記録写真を撮る、オープニングパーティの料理をつくるなど)を経験する。その経験をベースにフリーとなった2000年より展覧会やイベント、書籍や雑誌、webなどの媒体で文章、写真、料理の仕事を行う。 2003年、「フルタヨウコ」の名で写真、料理の作品作りをはじめる。現在はクラシコムの社員食堂やクラウドカフェの管理人(月、火曜日料理担当)、オリジナルジャム作りなどを行っている。
HOME. twitter:@yoko_home

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