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FREE from FREEDOM

隔週で発行している「自由大学マガジン」の人気のコラム、FREE from FREEDOM!そのバックナンバーをお届けします。


自分が変わる瞬間に出会いたい。
いわゆる人生の転機を待ち望んでいる人は多くても、誰かの転機になる機会をつくりだそうとしている人はそういない。しかし、先週あるプロジェクトで訪れた京都府の南部に位置する宇治茶の産地、和束町(わづかちょう)にその人はいた。

植田修さん(34)はお茶農家になって8年。鎌倉時代からお茶栽培が続く歴史があり、代々茶農家が多い町で他の土地から新規就農で農家になるのはよほどの覚悟と熱意がないと続けられない。子供の頃は「アルプスの少女ハイジ」に憧れ、北海道やニュージーランドで酪農家を目指したものの、日本人として誇りに思えることを実現するために茶農家になった。

「車の修理工場を辞めて海外を転々とした後、ボランティアで和束町に来た時に土地を大切にしている人たちの出会い、その人達がものすごくカッコよかったんです。」人生の目標になる人たちとの出会いがお茶を本格的に勉強するための原動力となり、静岡の「国立野菜茶業研究所」でお茶に関して2年間学んだ。お茶農家や茶商の跡取りたちがほとんどで「お前なんて5年後には消えるら~(静岡弁)」と当時は言われ続けていたという。

無事に学校を卒業できても畑がないからすぐに茶農家になれるはずもなく、植田さんに期待してくれていた和束町の茶農家さんのところで2年以上修行を積んだ。他よりもハンディがある分、急勾配の畑を積極的に世話したり、雨の日でも作業を休まなかったり、お茶づくりへの情熱を行動で示してきたという。その甲斐あって、高齢で作業ができなくなった茶畑を少しずつ貸してもらえるようになってきた。

「今は確実に茶畑を貸りられる面積が増えてきたし、今後も高齢者の方々が手放す畑が増えそうだから新規就農でお茶畑をやりたい人のために環境を整えたいんです。」自らの経験から学んだことをより多くの人に役立てたい。そして少しでもお茶を生業とする和束町のためになればと一人奔走している。そんな彼に仕事とプライベートという概念はないのだろう。

11月からは在来種を使ったかわいらしいパッケージの和紅茶を販売するなど、和束茶を知ってもらう機会も積極的につくっている。「お茶があるから和やかな雰囲気になって欲しいんです。日本一のお茶を作る、というより多くの人に受け入れられるようなお茶をつくりたい。」植田さんが行動すればするほど和束町にも彼にも新しいチャンスが舞い込んでくる。人生を変える転機は自ら行動する人に与えられるギフトなのかもしれない。

text: 岡島悦代(クリエイティブチーム)

[自由大学マガジン vol.120 2014/10/29]



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