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自由大学の働き方【新学長・小酒ちひろ編(1)】

クリエイティブチームは一緒に働く仲間を探しています

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自由大学は、学びのクラウドファンディング。「学びたい!」を実現できる、いろんな人に開かれた場。学びはもっと自由でいい。教授、キュレーター、受講生、卒業生。ひとつの講義を通じて集う人々、それぞれが学び、交流し、気付きを与え合って新たな一歩を踏み出す。

そんな大人の学び舎をつくる仕事をしているのは「クリエイティブチーム」と呼ばれる運営事務局の人々だ。今回、新キャンパスのオープンに伴い、クリエイティブチームが新メンバーを募っているという噂を聞きつけ、現メンバーから話を訊いてみた。

クリエイティブチーム・小酒ちひろさんと自由大学

自由大学との出会い

はじめにインタビューに答えてくれたのは小酒ちひろさん。2011年4月から、自由大学という学び舎の環境を支え、固めるために運営事務局長を務めている。小酒さんがはじめて自由大学を訪れたのは4年前。2010年の5月だった。

「当時は、求人サイトの企画職をしながら転職活動もしていたのですが、上手くいかず、一度現状を整理してみようとしていた頃です。自分はこれからどんな仕事をしたいのだろうと思って、働き方や仕事について考えている時期でした。

もともと社会人の集まるスクールに通うことが好きで、転職を機にもう一度自分と向き合いたくて、学びの場にいこうと思ったんです。『会社以外の人と接して広い視野を持とう』、そう思って訪れたのが自由大学でした」

 

深井次郎さんが教授の「自分の本をつくる方法」を受講した小酒さんは、“本当に自由な”自由大学に驚いたと言う。(5回だけで、こことの関係を終えたくない……)。気持ちの赴くままに見学したのがレクチャープランニングコンテスト(レクプラ)だった。

「今のフリユニクラブとは違って、レクプラだけが行われていました。聴きに来ている人も5〜6名しかいなかったし、自由大学の運営も深井さんと和泉さんとの二人でやっていて、手が回っていないことがたくさんありそうだなと感じました」

 

小酒さんは「自分の本をつくる方法」を卒業すると同時に、「もっと自由大学に関わりたい。会社を辞めてもいいから運営の仕事をしたい」という気持ちを、深井さんにぶつけた。(ここは自分から申し出るしかない……)。自分を前のめりにして、メールを打った。

「『自分の本をつくる方法』を受けているときから、深井さんは『人が足りない』と言っていたんです。なのに連絡をしてみたら『もうちょっと考えてみたら』という返事。確かにいきなり会社を辞めると言われたらびっくりしますよね。しばらくしたら、深井さんの発案でサポーター募集が始まりました」

 

キュレーターからクリエイティブチームへ

説明会が開かれ、サポーターチームが結成される。レクプラにもっと人が参加できるようにオープンキャンパス形式のイベントに変えたり、第1回目の自由大学祭を準備したりしたのが、このサポーターチームだった。小酒さん自身は、サポーターになってみんなで活動することは楽しかったものの、自由大学に深く関わるキッカケを掴んだのはサポーターチームを通してではなく、レクプラで講義案を聞いているときだったという。

「私が聴きに行ったレクプラで、ちょうど『入門日本酒学』と『自分軸をつくる占い』のプレゼンが行われました。以前、苦い経験をしていて、日本酒から遠ざかっていた私は、『純米とか吟醸とか言われてもわからない』、『そもそも敷居が高い』等と意見を言っていたんですね。すると和泉さんや司会の新小田裕二さんが『そんなに言うならキュレーターやったら』と言い出して、『小酒って“酒”が付くし、ちょうどいいんじゃない』という、割りとその時のノリで決まりました」

 

小酒さんは占いに興味があり、「自分軸をつくる占い」と合わせて2つの講義でキュレーターを務めることになる。当時は「キュレーション学」は疎か、和泉さん、深井さん以外のキュレーターもいなかった。「よくわからないけれど、チャンスがあるならやってみよう」。その一心だった。

初めてのキュレーター。サポートやアドバイスはあっても、誰かが用意してくれた作業をするわけではない。手探りで、やれることからまず始めた。「日本酒だから、おつまみを用意しよう」。今となっては的外れだったと思うこともしたけれど、当時は自分で工夫して、学びのキュレーションと向き合った。

いざ講義をキュレーションしてみると、「開講されるのだろうか」「人が集まるのだろうか」という不安が募る。ちゃんと自分の手で講義の告知をしたいと思った小酒さんは、自分からSNSの配信を任せてほしいと申し出た。

「申込や問合などの窓口業務からTwitterやWEBサイトでの告知まで、事務局周りはほぼ和泉さん一人でやっている状況でした。まずは自分のできることをと、他の講義の告知も合わせて、自由大学の公式Twitterを任せてもらうことになりました。

あとは、申込対応なら自分にもできそうだと思ったから、それも同時期に引き受けたいと伝えました。そのときは自由大学をつくることが楽しくて、いま思えばボランティアということになりますが、そういう気持ちはなかった。やりたいことをやっているうちに、気づいたら自由大学を受ける側からつくる側に回っていました。」

 

実際に申し込みのメールを受け始めたのは年明け、2011年のことだった。和泉さんが学長になり、白井順一さんを含む4名がクリエイティブチームになったのも、ちょうど同じ時期だった。<後編へ続く

(記事、インタビュー:新井優佑 写真:ぽろり

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