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FREE from FREEDOM

隔週で発行している「自由大学マガジン」の人気のコラム、FREE from FREEDOM!そのバックナンバーをお届けします。


 

私の家は、世田谷の外れにある。足の便がひどく不便だと人は言うが、木々の生い茂るのどかな雰囲気を私は愛して、ここにかれこれ5年も住んでいる。

歩いていると、
「一筆啓上仕り候(イッピツケイジョウツカマツリソウロウ)」
という声が木々の上から聞こえてくる。

春になるとオスのホオジロはこんな風に鳴くのだ。本当に何かを喋っているようにも聞こえる。顔をあげると、赤々と口を開いている雀によく似た愛らしいホオジロが鳴いているのが見えた。

そして、ふと『古事記』の歌を思い出した。カムヤマトイワレビコが美しい娘に求愛するとき、使者にオオクメノミコトを遣わした。そのオオクメの目に入れた刺青を見た娘が

「コアメツツ チドリまシトト などさける 利目(とめ)」
(海鳥、鶺鴒鳥、千鳥、鵐鳥のように、どうしてあなたの目は大きいの?)

と、歌った。

古代の言葉で、コは海鳥。アメは燕(つばめ)。ツツは鶺鴒(せきれい)。チドリはそのまま今でも千鳥(ちどり)。シトトが、この頬白(ほおじろ)である。どれも春に多くみられる鳥だから、このやり取りをしたのは春の季節だったのだろうか。

春といえば、やはりツグミの話もしたい。これも小さく愛らしい鳥だ。『古事記』ではオオクニヌシが高志(こし)のヌナワカヒメに
求婚したときにこんな歌を歌った。

「青山に 鵺(ぬえ)は鳴きぬは鳴きぬ さ野つ鳥 雉はとよむ 庭つ鳥 鶏(かけ)は鳴く」
(やがて夜も明けようとしているじゃないか。山では鵺(ぬえ)が鳴いている。野では雉が。家の庭では鶏が鳴いている)

この歌は、オオクニヌシがヌナカワヒメの家に入れて貰えないまま朝が来てしまい、ある種の捨て台詞というか恨み節をヌナカワヒメにぶつけた歌なのである。この鵺(ぬえ)が、ツグミだ。

日本で冬を越すと、4月上旬には繁殖のために北国に飛び立ってしまう。春4月頃になると北への長旅に備えて餌をたっぷりと食べようと青い草の中にツグミが降り立つ。元々は警戒心の強い鳥なのだが、春のこの季節になると、ベンチでじっと座っている自分のすぐ近くにまで近寄り、首を傾げてこちらをじっと見る姿が愛らしくてたまらない。ぜひ、来年の初春になったらツグミと会ってみてほしい。

古代の人々は、たくさんの鳥の名前を知っていた。そしてそれぞれの鳥によって季節の訪れを実感していた。本当の幸せとは、こういうことだと私は思う。

text:小出一冨ファンタスティック古事記 教授)

[自由大学マガジン vol.108 2014/5/14]



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