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二元論的思考からの解放

東北復興学教授 大内征

FREE from FREEDOM

隔週で発行している「自由大学マガジン」の人気のコラム、FREE from FREEDOM!今回は「東京・日帰り登山ライフ」ではキュレーター、「東北復興学」では教授、また、復興クラブリーダーとして活躍している大内征さんの文章です。


働き方、生き方から何を得るか。
ここ数年、ずっと考え続けているテーマである。きっと、自由大学に集う多くの方も、同じようなテーマでモヤモヤしているのではないだろうか。人生そのものが有限だし、社会のあらゆるところに制約がある中、三十も半ばに差しかかった頃のぼくは、半ば焦りを感じながらこのテーマと向き合い続けていた。そして、あるきっかけから、そのモヤモヤを晴らす糸口をつかむ。それが「物事を対立的に比較する二元論的思考からの脱却」というものだった。

ここで言う「二元論的」とは、たとえば、会社員とフリーランス、雇用する側とされる側、プロとアマ、労働と奉仕、東京と地方、平日と休日、定時と残業、公式と非公式、メジャーとインディペンデント、若さと老い、成功と失敗、といった具合の二項対立のこと。これでは「どちらかを選ぶ」思考になってしまい、自然、「よい方を選ぶ」生き方になってしまう。しかし、いったいどっちが「よい方」なのだろう?

そのヒントは、「最初に(あるいは本来に)立ち返る勇気と、その場所」にあるのではないかと考えている。その意味で、自分の価値観と判断を信じて、最初にこれだと定めたことに対し「自在」でいることが、すなわち「自由」ということなのだと思うのだ。迷ったり、悩んだり、心を揺さぶられたり、何が正しいのかがわからなくなった時は、出発点に立ち返ってみる。行き過ぎた言動、大人気ない態度、男らしくない行動をとってしまったら、本来の自分を取り戻せる場所を思い浮かべてみる。すると、何が自分にとって正しくて、どれが大切なものなのかが、少しずつ見えてくる。これこそ「自由」でないとできない思考だろう。

こんな偉そうなことを言ってしまったぼくはと言えば、二元論を飛び越えて「どっちもやってみればいいじゃん!」という結論に至り、それを試している。特に自由大学で復興クラブの活動に参画したことがトリガーとなって、会社員をやりながらプロボノをやってみたり、専門家でもないのに新しい分野に挑戦したり、東京に暮らしながら地方でも活動したり、平日も休日もない生活をしたり、失敗をたくさんして時にはちょっとした成功をしたり。そうやって積み上げてきた多くの「事実」が、また次の新しいチャレンジの好機となっていることを考えれば、「ぜんぶやってみる」というのは悪くない選択肢なのだと思うわけだ。

関心のあることには派生と横断を繰り返しながら素直に関わっていき、たくさんの小さな「点」を作り、その多くの点を「線」でつなげていくことが、自分の思考の輪郭となって形成されていく。しかしその時、継続的に関わることを拒んだり、自分の美学に合わないからといって排除的な行動とってしまうと、とたんに可能性が閉ざされるだろう。だとすれば、異なるものを受け入れながら戦うことを選ぶ方が、刀を鞘から抜けずに人生が終わってしまうよりは幾分いい。

だから、ぼくは来年、意識的にその刀を抜こうと思っている。これまで、鯉口に親指をかけて抜刀するタイミングをうかがっている、そんな状態が長かったのだから。


カテゴリ: ☞ コラム


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