講義レポート

クリエイティビティの「スイッチ」は、どこにあるのか?

『クリエイティブ都市学ー北欧学』キュレーターコラム

僕が作っている北欧を中心に活躍しているクリエイターへのインタビューマガジンa quiet dayで以前「Nordic Breakthrough」という特集を組んだことがある。北欧のクリエイターたちが困難にどう立ち向かい、そして切り抜けているのか、という大きな問いから考え始め、インタビューを進めていった。
インタビューでは、あるビスポークのテーラーは「何度も、何度も観察しながらトライしていくことだ」と言い、またあるフォトグラファーは「誰か他の人と会話をすることだ」と言い、そのまたあるビジネスマンは「余暇で森に入ってみることだ」と言う。それは人それぞれの対処方法があるように感じたが、このようにすぐに答えられ、それぞれが自分の癖、そしてそれを打開し新たなクリエイティビティの「スイッチ」を入れる術を持ち合わせているところが賞賛に値するべきことなのかもしれない。

8月の半ば、クリエイティビティを求め、北陸地方のクラフトを訊ねる旅へと出掛けた。福井では、越前和紙、漆器、陶器、刃物。金沢では、彫金。そして富山では木彫といったところに足を運んだ。旅に出た当初は、モノづくりというものは、人々の生活習慣から生まれてくるものだと思っていたところ、実際に現地で話を聞いてみると、そのほとんどが「自然」と「神への信仰」から生まれていたという事実がとても興味深い点として浮かび上がってきた。

富山の「井波」という場所も例外ではなく、その当時の天皇が北陸真宗の勅願所として寺(現在の瑞泉寺)を建立するために木彫師を各地から呼び集めたところから、木彫をきっかけに「井波」という町が形成されるに至ったのだった。
この木彫の町「井波」で半日ほど手ほどきを受けて木彫スプーンを作ってみた。木彫というのは、とても興味深い。必要なものといえば、彫刻刀と木材があれば極論作れてしまう。そしてその木材の中からカタチを見出していく。一筆書きのように、一回削ってしまえば輪郭が浮かび上がるのかといえばそうではない。何度も、何度も角度を変えて手で触りながらカタチを創っていく。


このプロセスがどこか今の自分の働き方や人生観などともリンクしてくるから不思議なものだ。輪郭すら分からないが、削って触って感じてみると、この一手がどのような意味があるのかと自分の中で意義づけられていく。御多分に洩れず、その旅から戻ってきても飽きもせずひたすら掘っている。まさに「没頭」しているのだ。
モノをつくるという意味でのクリエイティブ、または何かを発想するという意味においてもだが、この「没頭」がポイントなのかもしれない。あなたが「没頭」できるスイッチは、なんでしょうか。



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