学生時代からブランド opnner(オプナー)を立ち上げ、大学卒業後も20代前半にしてタトゥーシールデザイナーとしてフリーランスで活躍されている岩谷さん。ポートランドで感じた働き方への思いや、現在に至るまでのお話を伺いました。
ー 2015年8月の「CREATIVE CAMP in ポートランド」に参加したきっかけを教えてください。
大学1年の時に都立大学のMOUNT ZINE(マウントジン)のスクールに月2で大阪から通っていたんです。たまたまそこで知り合った人が自由大学の「CREATIVE CAMP in ポートランド」を Twitter で紹介していて「めっちゃ楽しそう」と思ったものの、その年はすでに申し込みが終わっていて、それで1年後に満を持して参加しました。説明会も大阪から夜行バスで毎回出席して、初めての海外旅行やし、いろいろ質問しました。行くと決めてからの1年間は、服も一着も買わないで資金を貯め続けたので、「やり遂げて人生変えるぞ!」という思いが半端じゃなかったです。
ー もともとはZINEを作ることに興味があったのですか。MOUNT ZINEで作ったものはどんな内容だったのでしょう?
大学2年生になる直前に、1年でまあまあ楽しい毎日を過ごしてきて、でもこのままでいいのかと立ち止まって考えた時があったんです。それで、モノ作るの好きやったし、本を自分で制作することに興味があってZINEを作ってみようと思いました。
ケント紙みたいな分厚い画用紙に、著作権切れの画像や浮世絵を使って、「自分やったらこの時にこれするやろうな」というものをトレーシングペーパーで重ねました。例えば、浮世絵の波で波乗りしたり、めっちゃ綺麗な空の写真が美味しそうやったから、そこにボトルを描いて「〇〇味」とか。一番やりたかったのが火星にも夕日があるっていうのを載せたくて、「自由だ丘」っていうタイトルで作りました。1冊1冊手作りだったんですけど紙選びがとにかく楽しくて、大変だったけどやり遂げる楽しさを感じました。
ー ポートランドに行ってみてどうでしたか?
本当に行ってみて良かったです。みんなニコニコしていて最高にハピネスな場所ということももちろんだけど、「こうあるべき」という概念が、誰かの物差しでしかなくて「自分で見て感じて自分で決めんとダメやな」と強く思いました。誰かと比べたり誰かに認められたくてやったことってたぶんブレるから、自分で決めて自分で動いてホンマに自分がしたいことをやっていたら、それを見てくれる人がちゃんといるんだと思えたんです。ポートランドの人は、自分の好きなことにとにかくまじめで、その姿に勇気をもらいました。
それと、ポートランドでは5時になったらみんな仕事をやめて、さっきまで接客していた人が隣でビールを飲んでいたり、自分を大事にしている働き方を見て、「私が理想する働き方はこれかも」と思いました。確かに24時間お店が開いていたら便利やと思うけど、そこには無理が生じていることも確かで。疲れた顔で働いている人を見ると「好きなことしなー!」って肩揺らしたくなる。でも安定を重視して、ちゃんとお給料が入ることに幸せを感じる人もいるし。こういう生き方もあるんだよって提示することはあってもこっちの方が絶対幸せだと押しつけるのは良くないなと思ってます。
ー 日本では、職業や所属がまずその人を表す中心になりがちだけれど、ポートランドでは、まず個人としての存在があって、バックグラウンドもひっくるめてお互いが尊重し合っているから、自然体に働けているんでしょうね。
タトゥーシールは、ポートランドに行く前から作っていたんですか?
はい。初めは授業中に自分の腕にボールペンで描いて、消えたらまたその上から描いていました。ある時白い服にインクが染みてしまって「最悪や」ってなったことがきっかけでタトゥーシールを作ってみたんです。そしたら友達に「売ってみたら」と言われて、最初は50㎝くらいの大きなものを作って、それは10分も持たずにはがれてしまうようなものでした。「これじゃダメやな」と試行錯誤してだんだん今の形になってきた。あの時服が汚れていなかったら、こういう形にはなっていなかったかもしれません。
ー 東京に拠点を移されたきっかけはあるんですか?
いずれ関西は出ようと思っていて、でも出るきっかけがなかったんです。そしたら商品を取り扱ってもらえる渋谷の桜丘のお店がオープンすることになって、思い切って上京しました。その時点で家も決まっていなかったけど、「家ないくらいはええか」と思えたんです。それって東京にZINEの時や自由大学で出会った友達があまりにも多かったからなんです。
私、ポートランドに行こうと思ったきっかけが、もちろんTwitterで見たこともあったけど、母親がずっと高校の時から病気をしていて、ポートランドに行く直前からずっと危なかったんです。それで「これは行って人生変えた姿を見せんとあかんな」っていう思いが自分の中であったんです。実際ポートランドから帰ってきたら、母親は喋るのもままならないくらいになっていたんですが、それでも報告はできました。初めは行くのを反対していたんですが、「いついつ何食べた」とか、チケットこれ使ったとか一番話を聞きたがっていたし、実際一番喜んでいたのは母親でしたね。それでポートランドに行った翌月の9月に亡くなったんですね。それでもタトゥーシールの制作を続けつつ就活もしていた矢先、それまでの疲労が重なって、3月に倒れて右耳が聞こえなくなったんです。それでもう、「人前で話す面接も苦手やし、そこを超えてもそっちのルートは嫌やわ」って思ってタトゥーシールに生きようと決めました。それに何より、注文ひとつひとつに手紙をつけられたり、お客さんと直に向き合える楽しさは、自分で立ち上げたopnnerだからこそ感じられるものだと思ったんです。
ー さっき話していたポートランドへの並々ならぬ情熱にはそういった思いがあったんですね。そこからずっとタトゥーシールの制作を継続してやっているというのは強い信念を感じますね。
タトゥーシールは、途中からファンレターまでもらうようになって、「すごく勇気をもらってます」と書いてあるのを見ると毎回泣くし、もうやめられないと思う。そうやってちょっとでも誰かの概念を変えていると思うと「この仕事ってすごいな」と思うし、すごく嬉しい。
ー タトゥー以外の依頼も来ることがあるんですか?
フライヤーを作ってほしいという依頼や、雑誌に掲載するというお話を頂いたりもします。もともと大学時代に lin:ku という団体でフリーペーパーを作っていたからフライヤーはだいたい作れるんです。それに、自分の絵が使われるってなると、ついつい出来る限りのことをやってしまいたくなるんです。
依頼は知り合いの知り合いとか、タトゥーシールのお客さんだった人とか。BASE(通販サイト)で買ってくれていたお客さんが「実はこういう者で」という感じでお話を頂くケースが多いです。最近はだんだん媒体が大きくなってきているので、opnnerを続けていくためにどうしていくのが最適なのか模索中です。
ー 自由大学でも、就職しない働き方に注目していますが、実際大学卒業後フリーランスとして活躍しているご自身の働き方についてはどう思われますか?
私の場合、好きなことをやっていたら自然とフリーランスになっていたという感じで、フリーランスになろうと特に意識はしていなかったです。就職以外の選択肢に目を向ける学生さんがまだまだ少ないと感じるので、「なんとなく会社に入るくらいやったら別の選択肢もある」ってみんなに知って欲しい。でも、それぞれの価値観があるから、こういう働き方がいいよと押し付けたくはないんですよね。
ー 今後opnnerとしてはどういう取り組みをしていきたいですか?
“open” と “er” で「切り開く人」という意味で、opnner(オプナー)とつけているので、タトゥーシールの概念を変えていきたいですね。今考えているのは「銭湯×タトゥー」というもので、近年日本でもタトゥーをしていても入れる銭湯が少しずつ増えてきたのですが、まだまだ認識されていないから、「大丈夫だよ」と広めるためにもその2つを組み合わせて何かやりたいです。私にとってタトゥーってお守りやおまじない的なものなんですよ。疲れてる時にパッと見て嬉しくなる、ネイルのようなもの。だから彫って欲しいわけではないんですけど、タトゥーの概念は変えていきたいんです。
「自分の道を見つけ、まっすぐ信じるためには何が必要か」という問いに対して、「自分の目で見て感じて、自分で決めること。人と比べないこと。自分の好きなことに真面目であること。」と答えてくださった岩谷さんからは、個々を尊重する精神と、しなやかながらも芯の通った強さを感じました。
受講した講義:CREATIVE CAMP in ポートランド
取材と文:Fumi
写真:武谷朋子
編集:ORDINARY