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free from freedom

隔週で発行しているメールマガジン「自由大学マガジン」の人気のコラム、FREE from FREEDOM!そのバックナンバーをお届けします。


 

自由大学でコラムを書かせていただくことになって、何を書こうかなと思っているときに浮かんだのが最近の友人との会話。
「最近、感受性が鈍くなっている気がするんですけど、感受性ってなんですかね?」とその子が問いかけてくれました。その時にふと思い付いて返答したものが「頭とこころって別の機関だと思うのだけど、感受性って心をどれだけ使っているかじゃないかなぁ」というものでした。みなさんは、頭と心って別物という感覚、ありますか?

ここからはその時の会話から離れますが、「1+1は、いくつ?」という問いに対して働く機関が頭だと僕は思っています。逆に「あなたは何が好き?」という質問に対して働く機関がこころというイメージですが、みなさんはどうでしょう?
僕は人の感受性の話を聞くのがけっこう好きなのですが、仕事をしているときに「頭は使うけど、こころは使わない仕事」というものが世の中にはたくさんある気がしています。人が住まなくなった家は、朽ちていくのが早く、使わなくなった筋肉は衰えるのと同じように、使わなくなっていってしまった「こころ」はしぼんでいくのではないかなと思うのです。

こころを使わなくても生きていけることは、楽なのかもしれません。しかしながら歩かなくても生きていけるようになると、歩く力がなくなっていくように、「こころ」はしぼめていっても大丈夫な機関なのかなと考えるとちょっと寂しい気持ちになる。というのは、こころにはきっと「共振」する働きがあるというか、イキイキしているこころのそばに居る時は、自分のこころもイキイキさせやすく、しぼんだこころのそばに居るときは、自分のこころもしぼみやすくなるのではないかと考えているからです。

こころを形作る要素をもうちょっと僕なりに分解してみると、「感情」と「関心(好奇心)」と「感覚」みたいなものがきっとあって、「感情」で人と共振しようとすると、けっこうトラブルも増えますので、「感覚」と「関心」というものをもうちょっと使って人と共振しやすくなっていく、そんな世界が広がらないかなと思っています。

関心とか感覚を開いた状態で人と繋がると、そのモードで出会った人には、次も同じように開いている自分を表現しやすいというのもあると思います。コミュニティ・リレーション学が目指している「コミュニティ」のイメージは、そんな繋がり方の提案。

[text:信岡良亮]
コミュニティ・リレーション学教授



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