講義レポート

人は自然と添いあって生きていけるか

「旅学」講義レポート

旅学」第10期 第2回は、記録映画「友よ!」の視聴からスタート。「久高オデッセイ」監督の大重潤一郎さんがが語る、海の縄文や久高島への想いについて、受講生は熱心に耳を傾けていました。続いて「久高オデッセイ」のプロデューサーでもある宗教学者の鎌田東二さんより、信仰的聖地である久高島の持つ意味について、アジアの海との繋がりや、神話や祭祀などの観点から話をうかがいました。

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琉球のアマミキヨは天から久高島に降り立って国づくりを始めたとされますが、一番小さな島が重要とされる点は、イザナギとイザナミの日本神話とも共通します。琉球王朝において東は聖なる方向であり、首里城にとって太陽の再生の力を感じさせる場所に久高島は位置します。そのため聞得大君を頂点とした久高島の祝女(ノロ)による祭祀が、代々受け継がれてきました。久高島の男は海人として漁に出て、女は神人として祭祀で島を守り、命のリレーを繋げてきました。

海の神の世界からやってきた様々なものが、久高島にもたらされ中継されました。それは、久高島/インドネシア/マジャパヒト王国における旗の一致や、久高に伝わるイラブー(ウミヘビの一種)の燻製とモルジブやマラッカ海峡のカツオの燻製との関連性に、アジアの文化交流をみることができます。また、宮古列島のサダル神は、日本の猿田彦信仰のルーツともいわれ道祖神信仰とも結びつきます。地球は循環しており、地球の自転により風や波が起こった結果、アジア諸国の文化や宗教や漂流物など様々なものが、海流や台風を通して繋がってきたのだそうです。

大重監督の作品は「人は自然と添いあって生きていけるか」という問いを発しています。何があっても勘と経験と本能で生き抜いていく気構え、大都会であっても縄文人のように生きていけるかどうかは、現代において益々重要な役割を持つことになるでしょう。受講者からは、本能的に生きることや人間的な感覚を取り戻すことの重要性、また、今回の講義が我々のルーツおよび文化形成を考える契機になったという意見もありました。

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最後はSUGEEさんと鎌田さんのセッション。月明かりの下で、横笛のリズムとジェンベの振動を肌で感じて、古代人の感覚が呼び覚まされるかの様な高揚感と懐かしさを感じました。

(text:「旅学」卒業生/依田真理子)



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