講義レポート

講義の衝撃

「今こそ知りたいイスラーム(グローバル編)」講義レポート

講義についてのレポートの前に、私自身のことを少し書きたいと思います。私は11年前にムスリムの主人と結婚をして、日本で暮らしています。しかし、私はイスラームのことを、ほとんど学んだことがありませんでした。触れているのは、ほかの日本人と同じ報道で見るイスラーム。あとは主人がいつも聞いている本国のラジオや、本国の家族のSNSのフィードから流れてくるようなものだけ。それもほとんど理解ができない。結婚してからこれでいいのかなという後ろめたい気持ちをずっともっていました。

その私が、たまたま今年4月、ご縁あって「今こそ知りたいイスラーム入門編」を受講し、その後「今こそ知りたいイスラーム(グローバル編)」も受講することができました。入門編では、六信五行やラマダン(イスラーム断食)などイスラームの基本情報、重要な歴史のできごとや人物を学びました。当たり前ですが、歴史的伝統の中のイスラーム文化は今も連綿と受け継がれており、入門編でもあるある!!なるほど!!の連続でした。

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しかし、もっとも衝撃だったのは、グローバル編の第一回の講義。テーマは「移民」。

講義を受けている最中、ショックで言葉にできない感情に包まれて、しばらく講義が耳に入らない時間がありました。講義が進むにつれて、少しずつわかってきたのは、普段、何もわからないまま生活していたと思っていたけれど、自分たちこそがイスラームらしく、イスラーム的であること=かっこよさを求めて生活していたということ。あの時の主人のあの言動はこういうことだったのか、主人の母国の家族がこう言っていたのはこういうことだったのか、とか、だから母国はこうなのか、とか。過去のできごとが走馬灯のようにわーっと思い出されて、なんどか涙がでそうになりました。

ニュースで見聞きするアラブ諸国のいわゆるイスラーム世界や原理主義思想がメジャーであるがゆえに、マイナーな自分たちが主役になるなんてこれっぽっちも思っていなかった。だからショックを受けたのです。あとから思い出したことがありました。小出教授との最初のメッセージでのやり取りの中にこんな一文がありました。「実は香取さんのそのお悩み、イスラームが大きく転換していく時の悩みそのものなんです!」私がずっと後ろめたいとおもっていたこと、移民の妻として、改宗者として、イスラームをどう考えるのか、イスラームってなんなのかと思う悩み。まさにグローバル編の肝はこれだったのです。

その後も、第2回、第3回と講義が進むにつれて、点と点がつながっていく感覚がありました。現代女性のヒジャブ(スカーフ)とジェンダーの問題、インターネットがイスラーム社会にもたらしたもの。イスラーム的メディアスターについて。現代イスラームの解釈論。あるある!と目から鱗!が順番にくる感じでした。複雑でいまだに消化できていないことももちろんあります。それでも、少なくとも自分自身が置かれているイスラームの環境はある程度理解することができました。

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今回のこのグローバル編は、かなり凝縮された濃厚な講義でした。クルアーンの解釈の一歩手前、世界の中のイスラーム社会がおかれている状況、グローバルなイスラームがどんなものか、その枠組みがいくつか示されたものだと思っています。どこまでいっても根っこが日本人の私には本当のところは理解できないこともあるかもしれない。しかし、異質なものに出会った時にこそ、多様性を理解するチャンスと思って、これからも思考をとめずに、学び続けたいと思います。現に私以外の受講生たちは、ムスリムでもなんでもなくたって、この複雑な現代イスラームを学んで理解しようとしていたのですから。

小出教授、一緒に学んでくださったみなさま、本当に深く楽しい目から鱗の講義でした。みなさんの質問も毎回新鮮でした。ありがとうございました。これでグローバル編としては一旦区切りとなりますが、私の学びはまだまだこれからも続きます。またお会いできるのを楽しみにしています。ありがとうございました!!

(text:卒業生 香取 寛子さん)



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