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いぐ (浅野郁美) |FLY_019

"いすのまぎ" を残したい。小さな一歩が生んだプロジェクト「石巻カルタ」ができるまで。

いぐ(浅野郁美|ポスプロ勤務)自由大学では「東北復興学」を受講。東北復興学の卒業生によるプロジェクト「石巻(いすのまぎ)カルタ」発起人。自由大学受講後2年間をかけて制作した「石巻カルタ」が2015年1月に完成。カルタの完成まで、そして故郷である石巻市への思いを語っていただきました。


 

Q.自由大学に来た経緯(いきさつ)は?

私、石巻市出身なんです。震災後に東北のことについて話がしたいと思っていて。どこで話をしたらよいか。誰と話をしたらよいかを考えていました。調べていく中で東北復興学を知りました。

Q:東北復興学は4期を受講されたんですよね。震災から2年後の。

そうです。実は、3期から受けようか迷っていて一度見送っているんです。新しいコミュニティに飛び込むことは、私にとってとても勇気がいることでした。足踏みしていたら3期の募集が終わっていた。ずっと気になっていたので、改めて検索したら4期の募集が始まっていたんです。「よしっ」という思いで受講を決めました。

今思うと、自由大学を申し込んだ自分をほめてあげたいです。カルタ作りはみんなの力があったからできました。私一人では作れなかった。でも、唯一私自身をほめてあげるなら、受講を決めた、この一歩を踏み出したことだって自信を持って言えます。

Q.「石巻カルタ」って“いすのまぎ”と読むんですよね。作ろうと思ったきっかけは?

石巻カルタは石巻市の「あるある」を詰め込んだカルタなんですね。どうして「あるある」にしたのかというと、私の故郷である石巻は、3・11の震災後に変わってしまったと感じていたからなんです。

震災前は「石巻出身です」って言っても花巻と間違えられたりしていたのですが、震災後は全国放送の天気予報に石巻の地名が出るようになったり、有名人や超有名キャラクターが石巻に来るようになりました。

東北復興学の教授・大内征さんが震災後の石巻を「ishinomaki」と表してくれるのですが、私の知っている石巻は「いすのまぎ」。被災地としての石巻が一人歩きしているような気がしていたので、私や私の家族、町の人が知っている石巻を残したいと思ったんです。

Q.「カルタ」にしたのはなぜですか?

群馬県にある上毛カルタがヒントになっています。上毛カルタは、群馬県の名産物や人口や名所がカルタになっているんです。カルタという遊びの中で故郷を共有できるのはいいなと思って。

Q.カルタ作りの始まりを教えてください。

東北復興学の最終回で「石巻カルタが作りたい」と発表したことが始まりです。最終回はこれまで学んだことをアウトプットする授業でした。上毛カルタを思い出し、「石巻バージョンのカルタを作りたい!」と。変わってしまったと感じている私の素直な気持ちも含めて発表したんです。

Q.いぐが感じていた震災前と後での石巻のギャップをみんなの前で言葉にすることが、次の一歩だったんですね。

そもそも人前が苦手なので、発表はとても緊張したんです。あの時、思い切って自分の気持ちをまっすぐ伝えてよかったと思っています。講義後すぐに、最終回に来ていたあさのん(浅野敦司)が「カルタ作ろうよ!」と言ってくれたんです。教授の征さんも「やってみよう」と言ってくれて。講義後の打ち上げで最初のミーティングの日程を決めたり、あっという間にプロジェクトが進んでいったんです。

私、こんな風に取材をうけていますが普通の人なんです(笑)。実は企画書も書けなかったりする。自由大学に来ている人たちはみんな立派な大人ですよね。それぞれが、スペシャルな力を持っているから、みんなの力でプロジェクトがどんどん転がっていく。デザインならこの人できるよ~とか、企画書なら書くよ~とか。カルタは手書きなのですが、イラストなら絵描けるよ~、「カルタを入れる袋を作りたい!」と言ったら袋作れるよ~まで。プロジェクトのメンバーは仕事も得意分野も違う。だからこそ、それぞれ、自分ができることを実践すると、どんどん形になっていくんですね。

Q.メンバーみんなの力がカルタに込められているんですね。

はい。仕事終わりには、会議室やカフェを借りてミーティングを繰り返し行いました。ホワイトボードに石巻のあるあるネタを書き出して“いろは”に当てはめていく作業を続けたり、五七五に言葉を整えたり、あるあるネタかどうか話し合うなど。

カルタ作りはとても地味な作業なんですよね。それでも、私のやりたいという思いに2年間も協力してくれたみんなに感謝しています。この場を借りてありがとうをいっぱい伝えたいです。

Q.2年もの間、プロジェクトを一緒に進めてくれる仲間ってすごい絆だと思います。みんなの原動力はどこにあったのでしょう。

私も聞いてみたい。聞いたことがないので。それぞれの思いがあって、「私のカルタを作りたい。」に共感してくれたのだと思います。カルタを作る時に「宝物のようなカルタにしたい。」と言ったことがあって、みんなずっと「いぐの宝物になるように」と思いながら作ってくれたんですね。私が過ごしてきた大切な思い出としての「いすのまぎ」をみんなも同じように感じようとしてくれた。石巻にもみんなで行ったりしました。方言も上達しているんですよ。「ishinomaki」ではない「いすのまぎ」をそれぞれの中に感じてくれたのかな。

Q.いぐの中にも震災前の「いすのまぎ」を残すことはできましたか?

はい。カルタ作りを通して、私が知っている「いすのまぎ」は確かにあったんだということを実感できました。津波で家が流されてしまい、電信柱に車が巻き付いている様子を見た時には、もう故郷ではない別の場所のように思っていたんです。

でも、カルタを作る過程で、石巻の人やプロジェクトのみんなと「石巻はこうだったよね」「んだんだ(そうだ、そうだ)」とあるあるネタを話したり、共有することで私自身の気持ちの整理にもつながりました。

Q.石巻の人もカルタを通して「いすのまぎ」を感じてくれるといいですね。

そうだといいな。カルタを作る時に「誰のために作るのか考えて作りなさい」と教授の征さんに教えていただいて。すぐに石巻の人の顔が浮かびました。いつも自転車に乗っていたおじさんとか、イカを持って来てくれるおばさんとか。名前も知らない人達だけど、石巻に住んでいた町の人が「石巻ってこうだったよね」「んだんだ(そうだそうだ)」と答えてくれて、くすっと笑ってもらいたいと思いながら作りました。

これから、石巻でカルタ大会を開きたいと思っていて、石巻の人が「んだんだ」って言ってくれるといいなと思っています。共感してもらえるかドキドキなのですが。

カルタが離れ離れになっている石巻の人同士、石巻と私たちのコミュニケーションの中心にあってほしいなと思っています。

【取材後記】いぐは取材の時に、カルタの解説本を持ってきてくれました。カルタ一つひとつのエピソードが丁寧に書かれていて、石巻への純粋な思いが伝わってきました。踏み出した一歩は、ほんの少しだったかもしれない。けれどその一歩こそが大きな輪を生み出す始まりだったんですね。

(インタビューをした卒業生:#鈴木宏美 )


 

FLY(フライ)は、自由大学の卒業生が登場するインタビューコーナー。自由大学に通い、新しく見つけた自分の姿。卒業して、踏み出した一歩は小さくても確かな手応えをもって、新しい日常の扉を押し広げます。卒業生が体験した、自分らしい転換期の話をお届けします。



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