講義レポート

「社会とかかわる」って、何なんだ。

「これからの社会をつくるための哲学」キュレーター 堀越 耀介

「社会とかかわる」って、何なんだ。さかのぼれば、小学生の頃から疑問だった。

学校の友達とする話といえば、今日何して遊ぶとか、昨日のテレビがどうだったとか、誰かが誰かのこと好きらしいとか、そういう話。それは全然楽しかったし、別に不満もなかった。でも素朴に、世界には他にもいろんな物や事があるはずなのに、そういう話の方が圧倒的に多いのはなぜなんだろう。そう僕が言うと、「社会の話っていうのは結局、僕らには難しい話、関係ない話だ」と親友は言った。それは「大人が考えなきゃいけない嫌なこと」なんだという。なるほど、たしかにそうかもな。

教室に行くと先生は、機械みたいに「社会とかかわることが重要」とか言っている。率直に、先生うざいなと思った。ああなんだ、やっぱり社会とかかわるっていうのは「嫌なものを押し付けられる」ってことだったのか。それからというもの、強烈に尾崎豊に惹かれた。尾崎は「夜の校舎、窓ガラス壊して回った」り、「校舎の裏、煙草をふかし」たり、「支配から卒業」したいらしい。おお、かっこいい!……あれ、でもそうして反抗することだって、実は「社会とかかわる」ことの一部なんじゃないか――。

でも、町会長さんはこうも言っていた。「ボランティアをしたり、仕事をしたり、選挙に行ったりすることが社会とかかわることだよ」。ああ、たしかにそういう方が「社会とかかわってる」っぽい。……でも、それって本当に皆にできる(あるいは本当に皆がすべき)ことなんだろうか――社会とかかわるって、自分とは「違う」人たちと「同じ」空間を生きるっていう、もっともっと原理的なことなんじゃないか――このことをちゃんと考えてみたくて、僕は「哲学」を学ぶことにした。

でも「哲学者」っていうのが、これまた結構いいかげん。なにしろ皆、好き勝手なことを言っている。ある人は「人間は本質的に社会的動物」だと言い、またある人は「社会は、私的領域と公的領域の中間にできてしまった、よくないもの」だという。他方で人間は「より公正で平等な社会で生きるべきで、そうすることで本来性が発揮される」という人がいたかと思えば、「私たちは自分が生きる社会の価値や規範に規定されていて、そこからしかものを考えられていない」という人もいる。

小学生の頃からの問いの、答えはまだない。でも、この問いを考え続ける仕方や、その営為を教えてくれたのは、まぎれもなく哲学だった。そして哲学は、社会の中で対話することによって、結局は私たちを――何らかの意味で――社会とかかわらせてくれる。

 

これからの社会をつくるための哲学」キュレーター 堀越 耀介



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