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2月のオープンキャンパスは、ベトナムの古都フエとスカイプで繋いでトークするという初の試み。機器のトラブルや回線状況、画質や音質の状態など、開始前は不安な点もいくつかありましたが、幸い問題は何も発生せず、トークは予定時間を上回る盛り上がりとなりました。
今回初の海外トークに出演してくださったのは、現在フエで日本語教師などのお仕事をされている川村泰裕さん。1984年愛知県生まれの26歳。2008年に早稲田大学教育学部を卒業後、大手企業に就職するも、リーマンショックで会社が傾き、退職。一方、仕事や働き方に対する思い、こだわりから、自由大学では「地域とつながる仕事」という講義を担当。人気講義となりました。
「仕事とは何か。どこで何をしてどう働いていくのか」といった問題意識を抱える人は、今の日本には決して少なくないと思います。そんな中、英語もしゃべれず、海外旅行も数回程度という川村さんが、なぜベトナムで働くことになったのか。川村さんにとってベトナムとは、働く場とは、そして仕事とは何なのか--そんなことを中心に、いろいろとお話を伺いました。


キーワードは「仕事を作る」

— 川村さんこんにちは、お久しぶりです。早速ですが質問させてください。会社を辞めた後、国内で転職活動をするのが普通だと思いますが、川村さんはなぜそうされなかったのですか?
川村:会社が傾いていく中で、僕は働いていました。社内には「できる人」が多かったのに、会社自体が沈んでいってるので、いつもギスギスしてました。自分は営業職でしたが、会社が沈んでいくから、営業はみんなムリな仕事をしていった。でもムリな営業はお客さんに嫌われる。当然成果も下がる。成果が下がれば社内でも嫌われる--もう負のスパイラルでした。
これじゃダメだ、もっと地に足付けて働くようなあり方じゃないと。仕事が楽しくならないと。そう思ってました。その時の僕のキーワードが、「仕事を作る」でした。就活もしましたが、イメージに合うような仕事がない。だから仕事は自分で作るしかない、と。
— ではなぜ海外だったのでしょうか。国内よりいろいろハードルが高くて大変そうに感じますが。
川村:たまたまだったんです。貯金も30万ぐらいしかなく、3ヶ月前には彼女にもフラレてましたから(笑)、最初は地方で働こうと思ってました。でもその時に、2ヶ月間ベトナムで日本語を教えないか、というお話をいただいたんです。京都のように、かつて都市があったベトナム中部のフエという町で、日本人相手のガイドを目指している学生さんたちに、日本人から直接日本語を教えて欲しい、と。ただお金は出ないぞ、と。
— ボランティア?
川村:はい。飛行機代すら出ませんでした。
— それはそれはご苦労様です(笑)
川村:ホテル代だけは出してもらえましたけどね。でもいま考えると、この仕事をもらえたのが自分にとって大きかったです。僕はただの25歳の日本人。特に何の特技も誇れるものもありません。でも、当時フエに20代の日本人は僕しかいませんでした。フエの人たちは日本人というだけで珍しがってくれて、みんな親しげに話しかけてくれました。僕はベトナム語も覚えたいと思ってましたが、そういう日本人も少ないので、好意的に受け止めてくれたようでした。
— 回りにも受け入れられて、あまり切羽詰まった状況ではなかったようですね。特に苦労はなかったですか?
川村:「ここで自分で仕事を作っていかないと、いずれやっていけなくなる」というのは目に見えてましたから、焦りはすごくありました。所持金も少しずつ、でも確実に減っていきますからね。これは恐いです。
— そして2ヶ月間のボランティア後も、日本語教師の仕事を続けられて今に至っている。
川村:はい。僕は日本語を教えるのは初めてで、資格も持っていません。裏口です(笑) ですからここで僕にしかできないことは何だろうと考えて、こっちの人はナマの日本人と触れる機会がないから、そこら辺に僕の役割があるのかな、と思って、とにかく2ヶ月やってみたんです。
そして、その授業を受けていた一人の学生さんが、大学の先生を紹介してくれました。「日本人がいなくて日本語の会話の授業で困っている」と。「僕は資格ないけどいいですか」と聞いたら、専門的なことは気にしなくていいから、日常会話を担当してくれと。そのご縁でいまも大学で日本語を教えています。
あとはツアーの仕事もしています。ハノイとホーチミンには日本人観光客が結構来るんですが、フエは少ないんです。フエの日本人観光客をどうやって増やしたらいいか、こちらのガイドさんと相談しながらツアープランを考えたりしています。
仕事とは、困ってる人を助けること
— フエで働くに際して、意識していることはありますか?
川村:一番意識していることは、こっちの人の仕事は奪わない、ということです。日本語教室を開いているベトナム人の方がいますので、僕が教室を開くと対立してしまう。そういうことはしません。現地の人との「棲み分け」が必要だと思っています。
— 仕事や働き方に対する考え方は変わりました?
川村:かなり変わりましたね。仕事って、困ってる人がいて、それを助けることで、対価をもらうことなんだな、と。対価は別にお金じゃなくもいいんですけど、困ってる人に何かをするのが仕事なんだ、と思いました。東京では、月から金まで会社に行かないとダメですよね。ダルくても、かったるくても、会社に行くことが仕事。仕組の中で与えられたことをこなすのが仕事だ、と。でもこっちでは、困った人を助けることが仕事なんです。
— 仕事の原点ですね。
川村:はい。最初の給料は10万ドン、480円ぐらいでした。でもそれがメチャクチャうれしくて。サラリーを毎月もらうんじゃなくて、自分が頑張った結果を渡されたというのがうれしいかった。異国ということもあって、余計にうれしかったですね。
行き詰まる日本、それでも恵まれている日本人
— 川村さんのブログ(「ベトナム フエで仕事をつくる」)を拝読してて面白かったのが、逃げる、というお話でした。日本では逃げちゃダメだ、それは悪だ、と言われてるけど、自分は逃げたおかげで生き甲斐をもってフエで活動できている。「逃げてもいいんじゃない?」という考えは面白いな、と思いました。
川村:それもベトナムに来て育まれた考え方でした。こっちは家族第一で、仕事は二の次、三の次なんです。たとえばこっちの大学生は、就活は卒業した後です。こちらの会社は通年採用が基本ということもあって、卒業後は半年ぐらい家の手伝いをして、それから就職するのが普通です。日本のような一括就職じゃないんですね。そういうところ、こっちは豊かだなあ、と思って。
— 日本は決められたレールに乗って、そこから降りちゃダメ、逃げちゃダメ、って言われるけど、そこから外れて逃げることで、初めて見えることもあるんじゃないかと思います。嫌いな物は避けて、嫌なことから逃げて、逃げ続けた最果ての地に、もしかしたら自分の居場所があるかもしれない。僕もとことん逃げ切ってやろう、と思うことがあります。
川村:こっちに来る日本人は、日本はもうダメ、行き詰まってる、と言う人が結構います。特に一度レールから外れて、ドロップアウトしたらダメ、というのに嫌気がさしてる人が多いです。「履歴書に穴が空いたらダメ」とか。学生でそういう相談をしてくる人もいます。自分の学生時代、「履歴書に穴」なんて発想は全然なかったから、ちょっと驚きでした。
— 海外から日本を見て、他にいい点、悪い点などありますか?
川村:日本は本当にいい国だと思います。フエで僕がこうして回りに受け入れられているのは、一つには日本人の先人のおかげです。日本語教師をされていた日本人ボランティアの方が古くからいらっしゃるのですが、その方のおかげで日本人の印象がいいんです。
それに日本のパスポートがあれば、どこにでも行けますし、やはり経済的にはまだまだ恵まれています。フエのカフェの時給は40円、日本との往復の旅費は7~8万円です。もし僕がここに生まれていたら、日本に行きたくてもたぶん行けなかったでしょう。海外に行くという選択肢もなかっただろうし、職業を選ぶこと自体もきっとできなかった。そういう点でも日本に生まれて恵まれてるな、と思いました。
ベトナムでの暮らし、恋愛や結婚、これからのこと
— 日常生活で困ったことは?
川村:特にないですね。美味しい日本食を食べようと思ったら苦労しますけど、そんな贅沢しようと思わなければ、特には。インフラも整ってますし、携帯も一人一台が普通。カフェではネット無料ですし、フェイスブックは普及率ほぼ100%、ツイッターが最近盛り上がってきた感じです。みんなオシャレですし、普通に東京を歩いているような感じです。あ、蚊が媒介するデング熱にかかったり、おなか壊したり、そういうリスクはありますけど。
— ベトナム人の暮らしぶりですが、結婚観とかはどんな感じですか?
川村:家族を大切にする、という価値観がとても大事なので、まずこの点ですね。大切なのはお金じゃない、と。お金じゃなくて外見と中身だ、と。「両方かいっ!?」と思いましたが(笑) あとユーモアが大事ですね。ほっそりしてて色白で背が高くて、ユーモアのある人がモテます!
— そちらの恋愛事情とか婚活とかは?
川村:ホーチミンではフェイスブック婚活が流行ってると聞いてます。あとは家族ぐるみでお見合いとかも多いですね。こっちでは25~6歳で結婚しないと「行き遅れ」なんですよ。自分もう26なのでヤバいんですが(笑)
— 川村さん、そっちで浮いた話はないんですか?
川村:いま一応先生という立場ですけど、可愛い生徒がたくさんいるのでどうしようかと・・・卒業したらいい、とか言われてるんですけど(笑)
— え~、それはちょっと置いとくとして(笑)、これからどうするか、何か考えてらっしゃいますか?
川村:ずっとベトナムには関わっていたいと思ってます。でもフエにずっといるかどうかとか、具体的にはまだ。
— ベトナムとの関わりはたまたまだったわけですが、いまは今後も関わっていきたい、と思ってらっしゃるわけですよね。そこまでベトナムに入れ込んでしまった理由は何なんでしょう?
川村:やっぱり人ですね。人がいいです。
— なるほど。今日ここに来てくださったみなさんにも、ベトナムの魅力が伝わったと思います。もし今日の参加者の方が川村さんのところに行ったら、何かご馳走とかしてくれますよね?
川村:もちろんです! ツイッターなどでぜひご連絡ください。フエ名物のベトナム風お好み焼き、エビやモヤシを揚げて、濃厚なタレを付けたお好み焼きみたいな小皿料理をご馳走します! ・・・あれ、会場、盛り上がってませんね。僕、なんかハズしましたね(笑)
— そのようです(笑) はい、今日は長い間楽しいお話をどうもありがとうございました。
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レクチャープランニングコンテストには3組の方々にご参加いただきました。

最初のプレゼンターは、サカイ優佳子さん・田平恵美さんの「食の探偵団」。
子どもたちへの食育を中心に、多いときには年50回以上の活動をされてきた「食の探偵団」のお二人。会場にアルミホイルで覆った食品を用意して匂いで何の食品かを当てさせるクイズをされたり、「日本語には食感を表す言葉が多い」という指摘から日本文化の特徴を探ったりと、様々な角度から食事や食品、食そのものを探求しよう、というプレゼンでした。

二番目のプレゼンターは、篠田洋江さんの「なりきりウォーキング」。
眩しく輝く「マブシスト」と自ら名乗る篠田さんのプレゼンは、誰かになりきって歩く「なりきりウォーキング」。人は自分に与えられた役割を脱ぎ捨てて、誰か別の人になりきったとき、解放感と共に新しい自分に出会う。カラオケに自分の思いをこめて歌いまくるように、沢尻エリカでもバリス・ヒルトンでも、自分の好きな人になりきってウォーキングすることには、自己表現の喜びがある。ウォーキングは表現のためのツール、と主張される篠田さんが、美しいウォーキング、立ち居振る舞いをレクチャーしてくれる講義です。

最後のプレゼンターは、佐々木恭子の「人に話したくなる(*^^)お天気講座」。
先日の東京の雪の予報が外れましたが、実は雪の予報というのはとても難しいのです、と力説する佐々木さんは、本職の気象予報士さん。いわば「お天気のプロ」である彼女が直々に、天気予報の予測の建て方、仕組みを解説してくれます。そして受講生自らが天気予測を行って、自分の行動、日々の活動に役立てよう、既存の天気予報にとらわれず、自分仕様にカスタマイズした天気予報を行えるようにしよう、という講義です。
以上、どれも類似のものが見つからない、非常に個性的な講義アイデアを披露してくださいました!
そして見事、ベスト・プランニング賞を受賞されたのは、篠田洋江さんの「なりきりウォーキング」。
ちなみに当日は第1部の前にキュレーター説明会も開催し、早速篠田さんの講義にキュレーターが付いて一緒に講義化を進めていくことになりました。詳細が決まり次第公開いたしますので、どうぞご期待下さい!
また次回3月26日のオープンキャンパスでも、レクチャープランニングコンテストの参加者を募集しています。
「我こそは!」と思われる方、ぜひご参加下さい!


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