・自分の人生を言葉にしてみたい
・価値観や人柄がにじむ文章を書きたい
・正しさより、面白さで伝えたい
・感じた出来事を誰かと共有したい
・自分の作風、語り口、スタイルを見つけたい
・自己理解を深めたい
・書くことで心を整えたい
・SNSの短文ではなく、しっかり考えを伝えられるまとまった長文を書いてみたい
・書いたエッセイをWEBやZINEで発表してみたい

自分の言葉で自分を語る

なぜ今、エッセイを書くのか
エッセイとは、自分の体験や考えをそのまま素材にして語る、もっとも人間的な文芸です。経験、感情、違和感、葛藤、発見 ── これらはAIには触れられない、あなただけの固有の物語。
WEB上にあふれる日記も、退職エントリーも、年末の振り返りも、すべては「いま自分がどんな世界を生きているのか」を確かめるための行為です。
今、静かに起きている地殻変動
AIの性能が上がるにつれ、知識も情報も誰が書いても同じものになり、文章の価値そのものが変わり始めました。そんな時代に、人間が書く意味のある文章は、たったひとつです。
「自分の言葉で、自分を語る文章」
あの瞬間、何を感じたのか。なぜそれが忘れられないのか。自分にとってどんな意味を持つ出来事だったのか。自分の内側に起きた微細な揺れを、そのまま言葉にしていくこと。その「語り」がナラティブです。
人には、自分の経験を言葉にして確認したいという願いがあります。言葉にすることで、いったい何か起きたのか、世界を把握できる。同時に、他者の心をのぞいてみたいという好奇心もある。誰かの物語を読むことで、自分を取り巻く世界の輪郭をもう一度確かめたいのです。
実際に、出版業界ではここ数年、ごく普通の人たちのなんでもない日記本が静かに売れはじめている現象があります。成功者の教訓だけでなく、等身大の物語が求められているのです。
文学フリマでは、ZINEを手売りしてみたら1日で100冊売れた事例もまわりで現れ始めました。それは、派手なノウハウでも劇的な成功談でもありません。等身大の生活、何気ない日々の心の動きです。同時代を生きる人々の、素の声を聞きたいという欲求が高まっているのでしょう。ナラティブエッセイは、その欲求に応える表現。AIの時代に残る、人間の温度そのものです。

書いて、生きかたを編集する
なぜ書くのか。なぜ、わざわざWEBやZINEで誰かに共有しようとするのか。
仕事のPRのため、という動機もあるでしょう。でも本質はもっと静かで、個人的です。書くと、自分の中に「まだ知らなかった自分」が現れる。それが楽しいのです。書くことは、自己理解と世界理解の入口になります。書いていると、心の奥に沈んでいた輪郭が、すこしずつ浮かび上がってきます。
自分は何が好きで、何が嫌で、何を大切にしているのか。どんな瞬間に驚き、笑い、ためらい、傷つき、救われたのか。日々の微細な揺れが、言葉にした途端、あなた固有の“視点”になります。
書くとは、自分らしさをことばで彫刻すること。
生きる姿勢を整えること。
心の底に沈んでいた本音を丁寧にすくい上げること。
そして、自分の心と仲良くなる練習でもあります。
ときに、忘れられない痛みも、言葉にすることで少しだけ癒えていきます。
書く人は、人生をもう一度生き直すことができる。同じ出来事を、別の視点から、より深い意味をもって味わい直すことができるのです。
この世界で、他者と共に生きる意味
「こんな出来事があって、私はこう感じた。」
ただそれを素直に差し出すだけで、どこかの誰かの心を、ふっと軽くすることがあります。
エッセイとは、自分の発見をそっと誰かに手渡し、交換し合うための器です。ひとりの人生で体験できることには限りがありますが、視点や気づきを分かち合えば、世界は何倍にも広がり、見える景色も豊かになっていく。
商業出版では、どうしても成功者の「大きな物語」や実用書が書店の棚を占拠します。けれど、WEBやZINEなら、誰もが自由。書きたいように書くことができます。
ここには多様な声があり、さまざまな生き方がある。「みんな違って、みんないい」という当たり前の事実を、あらためて思い出させてくれる場所です。
そして、自分の失敗談でさえ誰かを笑顔にできるとしたら。その瞬間、自分の人生を丸ごと肯定できるようになる。そうやって、書く人が増えるほど、社会はやわらかくなり、豊かになっていくのです。

教授、深井次郎さんより
ナラティブエッセイ学で身につけるのは、売れる文章テクニックではありません。これまでの文章術は「どう伝えるか」という外側ばかりに焦点が当たりがちでした。
けれど、伝える前に必要なのは「何を観るか」「どう感じるか」です。観察する力、自分の本音や輪郭をすくい上げる力。他者とつながるためには、まず自分の内面とつながらなくてはならないのです。
「違和感」「モヤモヤする」「ヤバい」「エモい」と多く人がSNSで書いてますが、それって何なのか、もっと深掘りして言葉にしてみませんか? 同じ景色を見ても、感じることは一人ひとり違う。その違いこそが、その人のスタイルであり、ナラティブです。
16年間続く講義「自分の本をつくる方法」では、多くのベストセラー著者が生まれました。ただその一方で、「出版はともかく、文章を書いてみたい」「自己紹介がもっと上手になりたい」という声もずっとありました。
最近は「能力より人柄」「いい人採用」といった言葉が象徴するように、スキルではなく「人間性」が求められる時代です。自分の言葉でライフスタンスを語れれば、価値観の合う仲間も自然と集まります。だからこそ、いまほど万人にエッセイを書く力が必要とされている時代もないのかもしれません。
著者の創造性をインキュベーションしてきたプロユースの技法を、一般に使える形へ落とし込み、エッセイに特化させたもの。それが「ナラティブエッセイ学」です。
講義ではまず、初対面同士で体験や気づきを語り合ってもらいます。最初は少し照れるかもしれませんが、すぐに「語る・書く楽しさ」を思い出すはずです。ブログやZINEはもちろん、ポッドキャストの台本づくりにも役立ちます。
文章に自信がなくても心配いりません。長文経験がない初心者でも大丈夫。もちろん、すでにたくさん書いてるベテランもウェルカムです。必要なのはただひとつ 「自分と世界をもっと知りたい」という静かな好奇心だけ。さあ、一緒にエッセイを書きましょう。書きたいことを書くのだ。
(第3期募集開始 2026年4月27日)
・自分の人生を言葉にしてみたい
・価値観や人柄がにじむ文章を書きたい
・正しさより、面白さで伝えたい
・感じた出来事を誰かと共有したい
・自分の作風、語り口、スタイルを見つけたい
・自己理解を深めたい
・書くことで心を整えたい
・SNSの短文ではなく、しっかり考えを伝えられるまとまった長文を書いてみたい
・書いたエッセイをWEBやZINEで発表してみたい
第1回
── 記憶の中に眠る「書くべき種」を見つける
大きな出来事はもちろん、なぜか心に残っている小さな出来事、言葉にできない違和感や引っかかりまで。
そうした「感情の揺れ」を丁寧に拾い上げていくことで、エッセイの種は見えてきます。
この回では、観察と言語化のワークを通じて、「何を書くか」だけでなく、「なぜそれが残っているのか」を探ります。
また、多くの人がぶつかる「何を書けばいいかわからない」という状態に対して、テーマの選び方と、記憶の掘り出し方の両方を扱います。
成果:エッセイの核となるテーマ(感情の揺れ)を見つける
第2回
── 出来事の意味を、自分で編集する
感情の奥には、必ず“前提”があります。なぜそれをそんなに望んだのか。もしくは、いやだったのか。何を失うのがこわかったのか。どんな「当たり前」を信じていたのか。
感情を分解し、自分の中にある矛盾や葛藤を掘り下げ、それをどう扱うかを考えることで、エッセイの核心が立ち上がります。
ここでは、お行儀よく前向きに「いい話」にまとめる必要はありません。無理にいい話にすると浅い場所で思考が止まります。まだ言葉になっていない感情や矛盾をそのまま見つめ、納得できる解釈を見つけること。正直であるほうが価値があります。
成果:エッセイの中心となる“解釈”と構造が完成する
第3回
── 書き手も読み手も“世界の見え方が変わる一篇”へ
エッセイは、明快な答えを出す文章だけではありません。
言い切れないものをそのまま言葉にすることで、読む人の中に問いや余白を残すものです。
書いた原稿をもとに、書きっぱなしで終わらせず、作品として成立するレベルまで磨き上げていきます。
多くの人は、いい素材を持ちながら、十分に掘り下げきらず、伝わりきらないまま仕上げてしまいます。この回では、もう一段深く粘り、文章の芯を明確にします。
・冒頭のつくり方
・抽象と具体のバランス
・不要な言葉を削ぎ落とす編集
を見直しながら、自分の言葉として、人に渡せる一篇に仕上げましょう。
最後には朗読を行い、他者の視点に触れることで、文章は“作品”として立ち上がります。
成果:自分の人生を素材にした、オリジナルのエッセイ完成

